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2022.05.20
Essay

突き抜けた孤立の先を探しに

思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考 #6

馬場正尊(OpenA)

「思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考」の第6回は、馬場正尊さんに石山修武×中谷礼仁×中山英之×藤村龍至「孤立から始める」を紹介いただきました。論考は新建築.ONLINEで公開されています。(新建築.ONLINE編集部)

僕は、早稲田大学石山修武研究室出身で、博士課程にまで進んでいるにもかかわらず、未だに、誌面で「石山修武」というフレーズを見ると、ほぼ反射的に、ぴんと背筋が伸びる、もしくは緊張で体が硬直するような感覚に襲われる。それぐらい、師匠に対して畏怖と尊敬と複雑な思いを持って対峙している。
だから、この座談会「孤立から始める」(『新建築住宅特集』2201)の中で、中山英之さんと藤村龍至さんが石山さんに(卒業生は、愛着を込めて石山さんと呼ぶので、以下この表現でいかせていただきます)気楽に話しかけているのを見て、羨ましくもあり、おいおい大丈夫か、という気持ちにもなってしまう。

石山さんは、この座談会の中で「孤立」を軸に建築を語っている。昔も今も変わらない、社会や時代に対する明快なスタンスを見ると、本当にすがすがしい。この人が、師匠であったことを改めて誇りに思う。
一方、僕はどうだろうか。
孤高の天才はかっこいい。でも、傷だらけになりながら、強い意志と形相で社会に対し対峙している石山修武の存在は、お前にもそれができるのかと否応なしに問いかけてくる。

おそらく研究室の卒業生の中でも極端なケースだと思うけど、僕はまるで反動のように、社会や経済の腐海の中にあえてダイブし、博報堂や東京R不動産、リノベーション、toolboxなど、およそ既存の建築が距離を置いていた広告や不動産などに積極的にまみれていった。それが石山さんの教えに対する答えでもあり、意地でもあった。建築業界では孤立してしまうかもしれないけど、ポピュラリティを纏った孤立もまた、潔し。思い出すと、そんな気持ちだったかな。
今となっては、つくったメディアや言葉が市民権を持ち、普通に使われることになったことを複雑な気持ちで見ている。石山さんは、こんな自分の活動を見てどう思うのだろう?

時が経てば経つほど、僕がチャレンジしてきたことは、石山修武の言説や予言の中にあるのではないか、と思えてきて、この座談会をとても複雑な気持ちで読むこととなった。

対する中谷礼仁さんは、僕の3つ上の先輩。学生時代からその論客ぶりや思慮深さは突出していて、彼が使うフレーズが気になって仕方がない存在だった。『早稲田建築』という大学発行の学報の中で、彼は自分の名前を「音読みであれば、レーニン、訓読みであれば、のりひと」と説明していた。生まれながらにして名前の中に、左と右、革新と伝統といったアンビバレントさを内包した人なんだなと印象に残っていた。時を経て、彼は日本屈指の建築史家になっていくわけだけど、なんだかそれが宿命付けられたように見えていた。

極めて農業的な風景の中に、高床式の俯瞰的な住処を構えた「高床の家」(『新建築住宅特集』2106)を誌面で見た時、アンビバレントさを越えたところに、抽象的に居住しているイメージが去来して、なんだか中谷さんらしいなと改めて思った。
都市と田舎の境界の上、あるいは都市計画法の及ぶ範囲と市街化調整区域の間の微妙な隙間に、洗練された物流ネットワークとリアルな農村的交流・交換の間に、大地と空の間に、自らの居場所が選ばれていた。あらかじめ与えられた(かもしれない)、彼のアンビバレンスなスタンスが、そのまま空間化されたような建築の中で思索を巡らせているんだなと思うと、あたかもそれが現代の建築が置かれている状況を、身をもってプロットしているようにも思えてくる。

僕が30歳の頃、中谷さんは、「建築等学会」というちょっと風変わりなものを立ち上げた。その頃、僕は仲間たちと雑誌『A』を作っていた。その雑誌は、建築を基軸にするものの、周辺のサブカルチャーとの関係性や親和性を追求するための手段だと捉えていた。だから、漫画家や映画監督、ファッションデザイナー、ミュージシャンなど、さまざまな分野の人にインタビューをして、その時代における建築を周辺から確かめたい、そんな思いで動いていた。まだ若くて、建築の奥深さを分かっていなかった僕たちは、建築を主語にし続けていると自分たちも伝統芸能の一部になってしまいそうに感じて、そこから逃れるために右往左往していたような記憶がある。そういう状況だったからこそ、建築史家である中谷さんが「建築」といってくれたおかげで、はみ出てもいいんだ、と免罪符をもらったような気持ちだった。中谷さんは、「そんなこと知らなかったよ」というと思うけれど、雑誌『A』の背景には、確実にその存在がありました。責任を感じてほしいです(笑)。今こそ、あの時代についてもう一度じっくり話したいなという気持ちでいます。今度連絡させてください。

結果的に、僕はこの座談会の中で語られているような垂直方向の「孤立」とは対照的な、水平方向への「拡散」に向かったのかもしれない。それは、建築に留まらない社会や経済との向き合い方を考えた末の行動だったのではないかと思っている。その瞬間瞬間は、目の前のことに必死で、大局観を失っていたかもしれないけど、結果的に、学生時代に浴びた思想や言説の中に源流があることは、今この時だからはっきりと断言することができる。

僕の事務所の名前である「OpenA」は、オープンアーキテクチャの短縮形である。そしてこの名称は、石山さんの「開放系」というフレーズに源流がある。バックミンスター・フラーや川合健二の仕事のように、思想や技術が作家の中に閉じるのではなく、開放されることで社会化する姿勢を述べたものだった。これが、『ホール・アース・カタログ』原題『Whole Earth Catalog』は、スチュアート・ブランドによって創刊された。ヒッピー・コミューンを支えるモノやコトが多数掲載されており、1968〜72年まで年数回発行された。や、OSを開放することにより数多くのアプリを生み出したアップルのようなアメリカ西海岸の企業の思想にも通底しているのは、座談会でも語られている通りだ。僕は、そのように情報を開放することで、求心力を得る状況に強い憧れを持っている。だからそれを事務所の名前にしたし、あらゆる発想をメディアにどんどん流して、開放することを実践してきた。この基本姿勢は、大学院時代の石山さんの講義と、その中の短く強いフレーズに圧倒的な影響を受けている。そういわざるを得ない。そしてそれは、嬉しいことでもあり、悔しいことでもある。

東京R不動産から生まれた、toolboxという建材の通販サイト。今ではポピュラーなメディアになってきたが、この事業を取り仕切る社長の荒川公良​​も石山研究室出身。石山さんがダムダン空間研究所で建材や2×4材の通販を(おそらく日本で初めて)始めたことや、著書『「秋葉原」感覚で住宅を考える』(石山修武著、晶文社、1984年)で、「住居はパーツの集積であり、その物流を握ること自体が住宅生成の基本を握ることだ」と語ったことなどからインスピレーションを受けて、toolboxは生まれている。もちろん『ホール・アース・カタログ』にも強い影響を受け、ブラックボックスの大きい建築産業に対するアンチテーゼとして始めた経緯もある。
ただ僕らは、それをカウンターカルチャーとして位置づけるのではなくて、あくまでも社会や経済の中にじわじわと染み込んでいくような強度を持った現象やメディアでありたいと考えた。それによって、石山修武を少しでも越えていきたいという思いがあった。石山さんの意思を水平展開するのは、孤立と垂直ではない方法を選んだ(選ばざるを得なかった?)僕らの役割でもある、と思いたい。

石山修武の垂直方向への孤立は圧倒的かもしれないけれど、その標高が高かった分、知らず知らずのうちに裾野は広い範囲に及んでいるのではないか、と改めて伝えたい。

今ちょうど、大学で教わっていた頃の石山さんの年齢に自分がなっている。

馬場正尊

1968年佐賀県生まれ/1994年早稲田大学大学院建築学科修了後、博報堂入社/ 1998年早稲田大学博士課程 雑誌『A』の編集長/ 2003年Open A設立/同時期に「東京R不動産」を開始/ 2008年~東北芸術工科大学准教授/ 2016年~同大学教授

馬場正尊
思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考
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