都市に「山」をつくる
──1995年に竣工した「アクロス福岡」(『新建築』9507)は、福岡の中心地に自然や公園と建築が一体となって計画されました。四半世紀を経た今、緑が育ち、都市中心部に自然豊かなパブリックスペースを生み出しています。この環境を25年間どのように育んでこられたのか、プロジェクトの設計に関わられた元竹中工務店の村松映一さん、元日本設計の淺石優さん、現日本設計の福田卓司さん、プランタゴの田瀬理夫さんにお話をお伺いしたいと思います。はじめに、どのようにプロジェクトが始まったのか、お話いただけますか?
村松映一(以下、村松) アクロス福岡fig.1fig.2は、1876年から築100年以上福岡県庁が建っていた跡地に官民が連携した複合施設をつくるという計画で、1991年にコンペが開催され、第一生命が民間の中心となって事業の枠組みをつくり、参加しました。
淺石優(以下、淺石) 最初は「福岡国際会館」という名前の事業コンペで、第一生命から一緒に参加してくれないかと日本設計に声がかかり、竹中工務店とエミリオ・アンバーツのコンソーシアムに加わるかたちでコンペに臨みました。当時、私は沖縄の熱帯ドリームセンター(『新建築』8504)をはじめ、植物と一体になった建築をデザインしていて、アンバーツが考えていることと共通する面もあり、私のポートフォリオを見て「君のプロジェクトはなかなかよいから一緒にやりたい」と言ってくれました。1989年12月にコンペが始まり、すぐにアンバーツと現地に行き、年明けに竹中工務店の平田哲さんもチームの一員となって、竹中工務店の1室でコンペに取り組みました。
コンペの対象地は1981年に県庁が移転した跡地で、南側半分は天神中央公園、北側半分はアスファルト舗装のイベントスペースとして10年間使われていて、既にオープンスペースとアクティビティが定着していました。こうした経緯から、建築を建てるとしても既存のオープンスペースから連続した緑地を設けるのがよいと考え、南側を含めた2.4haを緑のオープンスペースにし、北側半分は地面を持ち上げて約10万m2のボリュームを入れる案を考えました。年明けミーティングのコーヒーブレイクに、アンバーツが紙を折ってつくった雛壇を持ってきて、これだとボリュームも小さくなり、公園との一体感も生まれてよかった。それから案を詰めていきました。コンペ期間が1989年12月から翌年3月と短期間だったのですが。プログラム構成も含めて実施案と変わらない精度の提案ができました。このステップガーデンfig.3のコンペ案ができた時に、誰に造園をお願いするのかという話になり、以前にも一緒に仕事をしたことのあった田瀬理夫さんに1haくらいの人工地盤をやってみませんかと声をかけました。
田瀬理夫(以下、田瀬) 1990年代初め、都市に緑地をつくるという発想はあまりなく、そういう意味でも広大な緑地をつくる計画は面白いと思い、ふたつ返事で参加することにしました。
──都市における緑地の重要性はどのように考えられましたか?
淺石 私は32歳の時にロンドンに1年半くらい暮らしていたのですが、ロンドンにはハイド・パークやリージェンツ・パークなどさまざまな公園がありました。私が住んでいたエリアには非常に古い建物とハムステッド・ヒースやパーラメント・ヒルという広大な緑地があり、そこでよく過ごしていたので、緑地がもたらす豊かさはよく理解していました。コンペが始まる時に都市のひとり当たりの公園面積を調べてみたら、ロンドンが30.4m2に対して福岡は3.8m2、東京にいたっては1.7m2でした。つまり福岡でもロンドンの1/8くらいしか緑地がない。だからこそ、このスペースを緑化して都心の中心に緑をもたらすのがよいと強く思いました。
──ステップガーデンのコンセプトはどのようなものでしたか?
淺石 コンペ時のコンセプトは花鳥風月で、春夏秋冬でいろんな植物の変化を楽しめる山をつくるという提案をしました。実施設計で、いかに完成後に手間がかからないようにするかが課題となり、そこから植栽、土壌、排水方法など「山の仕組み」を取り入れた設計を進めました。現場の段階で県の担当者に「山じゃない、大刈込みだ」と叱られましたね(笑)。最終的にはメンテナンス会社を含めてコンセプトをちゃんと理解して進めるようになりました。
村松 私は主にクライアントの説得役でしたが、もっと上の方は厳しいことばかり言ってましたね(笑)。みなさんのアイデアを通すために説得するのが大変だった記憶があります。でも第一生命の専務に可愛がられよい関係を構築し、メンテナンスもしっかりやってくれることになりました。
──竣工当時の様子について教えていただけますか?
淺石 1995年当時はあまり評価されませんでした。近江榮先生が主宰する建築家倶楽部でアクロス福岡が話題になり、「コンクリートが勝っていて植物がかわいそうだ」と言われてしまいました。でも僕は、「日本人は緑と親しんで日常生活を送ってる民族にもかかわらず、庭や外構を含めて、建物の完成時に完璧な姿でできていなければならないと考えている節がある。しかし明治神宮だって最初から現在の姿であったわけではないし、植物は時間をかけて、長い目で見て考えなければいけない」という説明をしました。そうしたら3年後に近江先生にお会いした時に、「時間経ってよくなってたよ」と言われて嬉しかったですね。
土、雨、風と向き合う
──ステップガーデンを実現するために、どのような検討をされたのでしょうか?
田瀬 アクロス福岡の0.8haの人工地盤にはパーライト100%の「アクアソイル」という人工土壌を使用していますが、土を何にするかは大論争でした。選択肢としては「アクアソイル」のような無機質の人工土壌、もうひとつは自然の土のように有機質を含んだ土壌のどちらかです。有機土壌の場合は使われていくうちに土壌組成が変化するので、植栽基盤としての先が読めません。
淺石 たとえばアメリカのオークランド博物館(設計:ケビン・ローチ、ジョン・ディンケルー、1969年)の屋上緑化は有機土壌によるものですが、経年変化でパラペットが見えるほどに土が痩せてしまった状態の写真を見ていたので、有機土壌のデメリットは設計時から認識していました。
田瀬 つまり、有機土壌を選択するとアクロス福岡の60年間の定借期間にわたって植栽基盤が維持できなくなってしまう可能性があったのです。当時は植栽基盤の経年変化に対する知見は少なく、人工地盤の権威にアドバイスを求めたら有機物を含んだ普通の土になってしまう可能性が高いと思い、できるだけそういう人たちに現場に関わらせないようにいろいろ苦労しました(笑)。
淺石 一方、アクアソイルを使用すると植物の根が毛細状になり、土との摩擦によって、厚さ50cmの土壌でもしっかりと植物を支えることができます。また保水力があり、雨さえ降れば自然と植物が育つ土なので灌水がいりません。当時、アクアソイルは既に30年くらい田瀬さんがさまざまなプロジェクトで使っており、実績もありました。ただ実績があると言っても、クライアントはなかなか納得してくれない。そこで実証するしかないと、実際の1/100にあたる幅12m、標準部2段分の実物大モックアップをつくりました。工事が始まってすぐにつくったので、植栽工事に取り掛かるまでの約2年間の経過を見ることができました。これにより、人工土壌は水をやらなくても植物が育ち続けることが確かめられ、クライアントも納得してくれました。
田瀬 最初、モックアップは竹中工務店九州支店の屋上につくるという話でしたが、重さに耐えきれないということで地上につくることになりましたね。
淺石 またアクアソイルは50cmの深さでも十分に高い保水力があるので、それを存分に活かすための排水システムを考える必要がありました。そこで、実際の山が持つ排水の仕組みを参考にしたシステムを田瀬さんと一緒に構築しました。具体的には各段のステップガーデンに降った雨がアクアソイルの気相(空隙)が飽和するまでゆっくりと浸透し、余剰水がアクアソイルの下に敷かれた透水管を通って「しみ出し口」から下段に落ち、下段で同じことが繰り返され、最終的には1階の植栽や池、薬院新川へと放流されていくのです。
福田卓司(以下、福田) 大雨が降った場合には川となって流れるような場所もつくりましたね。
田瀬 竹中工務店の現場では溢れた水が防水層に入ってしまうのではないかと、非常に心配していましたね。日本設計の屋上緑化の管理資料を参照しましたが、この建築においては全然役に立たなかったので、管理の方法も一から考えました。
福田 一般的にはパラペットに植物を寄せるとメンテナンススペースが取れなくなってしまうのでよくないことになっています。しかしアクロス福岡ではそのようなメンテナンススペースも側溝もなく、パラペットぎりぎりまで土を入れて植物を育てる仕組みになっていて、最初は驚きましたね。
田瀬 溝をつくってしまうとそこに落葉が溜まってしまい、水の流れを阻害してしまいます。山と同様の排水システムを考えるならば、溝なんていらないわけです。この建築を山として育てていくならば、実際の植栽もメンテナンスも、葉っぱを掃いたりしない山のやり方を想定する必要がありました。だから竣工してから今まで一度もゴミとして外に出したことはないですね。木を伐ったら太い枝はまとめてその場に止め、枝葉は刻んで林床に戻しています。
福田 もうひとつ懸念していたことは風でした。ステップガーデンは地上60mの高さまであるので風の影響を受けやすい。さらに福岡は台風がよく来るので、そのリスクも心配していました。
淺石 沖縄の熱帯ドリームセンターでは、強風からいかに植物を守るかが技術テーマでしたから、風洞実験を行い、適度に通風を確保するための防風壁や防風効果のあるココヤシなどの植物、防風ネットを適宜配置するなど、いろいろと対応を考えました。アクロス福岡でも同様に風洞実験を行い、実際の風の動きを調べました。
田瀬 風洞実験で各フロアの要所の風速を測って、風の強いところと弱いところを見て、どのように植物を配置すればよいのかを考えました。またクライアントからは落ち葉が周囲に飛んだり、木が倒れないようにしてほしいと言われていたので、その対応を考える上でも風速図は参考になりました。
村松 私も風については心配でしたね。25年経過しても大丈夫と聞いて安心しました。
25年間の「山」の変化
──竣工後、どのような変化が起きましたか?
福田 予想していなかったことに、植生がかなり変化しました。ステップガーデンには実がなる木があるので、鳥がやってきて、糞と共に種が運ばれてきて、元もとここになかった木が増えているんです。
田瀬 コンペで「山を60年間維持していきます」と宣言し、四季で様相が変わる山のような植栽計画をしました。その時に、300年以上も持続し続けている修学院離宮の60種類以上からなる混種大刈り込みの構成樹種とその経年変化を調査したデータも参考にしましたね。竣工当初の植生は76種類でしたが、今では200種類くらいに増えていますが、勝手に増えたものと意識的に増やしているものがあります。最初は基本的に常緑樹がベースで、落葉樹は4割程度でした。特に建物の端の方は葉っぱが飛ばないように常緑樹にするよう強く言われ、設計当初はその制約の中でできるだけたくさんの種類を植えることを試みました。ステップガーデンは南に面し、1年中成長によい環境なので。常緑樹がどんどん育ちます。最初の10年はそれを定期的に間引いて、抜けたところに落葉樹の多種類の苗木を新しく植えて、植生が混ざり、いずれ四季が多彩に変するようになることを目指しました。今も周りの落葉樹が茂ってきたら、シイの木のような常緑樹はどんどん間引いて、新しい落葉樹の苗木を植えて少しずつ植生を変えていっています。植物の種類が増えるとやってくる鳥の種類も増えますからね。都市部なのでカラスが支配しているようですが(笑)。虫も増えているみたいですね。fig.4
福田 木がだいぶ大きくなったので躯体にかかる荷重は大丈夫かという話が出て、2014年に木の重さを算出しました。結果、想定内に収まっていたのですが、その時に面白かったことは、一般的に木は根鉢の部分が地上に出ている部分の2.5倍くらいの荷重があるのですが、人工土壌は根の部分が少なくて軽いので、ステップガーデンに植えられている木は通常の土から生えている木より軽いということです。目で見た印象と全体荷重はかなり違うようです。また、表土が薄く積もってきていて、だんだん土の高さが上がってきているんです。
田瀬 人工土壌の工事は、まず真っ白なアクアソイルを敷いて締め固めて植栽基盤をつくり、そこに苗木を植えます。人工土壌のパーライトは手で掘れるような柔らかさではないのですが、そこに木が育っていきます。木が育つと葉が落ちて、表土が少しずつできていきます。このように無機質の人工土壌であっても、空気と水があれば、植物自ら栄養価のある土をつくっていくのです。
──竣工後の検証もされていると伺いました。具体的な内容を教えていただけますか?
淺石 1995年から、九州大学農業気象学の鈴木義則先生がステップガーデンの熱環境調査を継続的にやり始め、さまざまなことが分かってきましたfig.5。まずステップガーデンの地面は植物の蒸散の気化熱冷却によって、コンクリート面と比較して20℃以上の温度差があるということです。また、建物周囲の地上面の夏の気温を比較すると、南側がいちばん低いという結果が出ました。このような周辺環境に対する効果は予想していませんでした。
田瀬 それはステップガーデンの植栽によって冷却された空気が、真夏の無風時に下降してくることによるものだそうです。山風が吹くのと同じ原理ですね。
メンテナンスの持続
──竣工後はどのようなメンテナンスを続けられているのでしょうか?
田瀬 竣工時に、第一生命の方から「60年間とにかく植栽を育てなくてはいけないので面倒見てほしい、造園工事を担当した内山緑地建設に管理も任せるから監修してもらえないか」と頼まれました。管理会社(エイ・エフ・ビル管理)の社長は当時から5代くらい代替わりしましたが、植物に関心を持ち続け、メンテナンスを大事にしています。私も最低年1回は現場を巡回点検して、管理会社とやりとりしていて、この業務契約が25年続いているのは素晴らしいと思いますねfig.6。
福田 オーナー(第一生命・福岡県・三井不動産)のひとりである第一生命の担当の方が、当時の現場からずっと面倒を見てくれていて、何かあれば電話がかかってきます。竣工してから現在までオーナー、管理会社、竹中工務店と一緒に、毎年会議を積み重ねてきました。
田瀬 メンテナンス会社(内山緑地建設)も植物のメンテナンスでいちばん重要なのが点検・巡回だと認識してやってくれています。植物の位置も把握していて、不安な部分を現場も認識している。それが管理会社にも伝わっているので、コミュニケーションできているのでしょう。
福田 防水は設計時から竹中工務店の方が心配していて、2007年と2014年に検証を行いました。田瀬さんは躯体上の透水マットが空気層を含んでいるので、植物の根は防水層まで侵入しないと説明をされていたのですが、実際に確かめると、たしかに空気層には植物の根は入らず、防水部分はまったく傷んでいませんでした。植物の方はまったく問題ないのですが、建築の方はやはり定期的にメンテナンスが必要になります。たとえば、コンクリート外壁のクリア塗装は10年くらいで塗り替えをやらなければならない。大きく育った外壁沿いの植物を傷つけないように木を引っ張って施工する必要があります。コストも手間もかかる大変な工事ですが、木を大事にしなくてはいけないという共通認識があり、オーナー、管理会社も竹中工務店の施工担当者の方も、納得して引き受けてくれますね。メンテナンスに関わる人たちにとっても、ステップガーデンはひとつの風景になっているのでしょう。2011年以降、継続して修繕・更新計画を見直していますが、2017年には第一生命、管理会社と竹中工務店と共に今後10年間の維持計画を立てました。熱源、受変電、エレベータなどの設備機器は入れ替えが必要なのですが、ステップガーデンの植栽に関しては大きな工事は発生していません。
周辺環境への貢献
──25年が経った現在の姿をどのようにご覧になっていますか?
福田 建物に周囲を囲まれた都市の劇場のような場所でもありますね。西側に市役所があるのですが、打ち合わせで訪れる応接室の借景になっています。また南側に建つ福岡県済生会福岡総合病院の設計を担当した日建設計の方に聞くと、普通は人気のない北側の病室もアクロス福岡が見えるということで人気があるようです。今も九州の他のクライアントに聞くと、みなさんアクロス福岡が街の中心にあってよかったと言ってくれます。
淺石 アクロス福岡ができるまでこの場所は天神の端でしたが、周囲の様子も変わってきましたね。
福田 福岡市が進めている「天神ビッグバン」(『新建築』1701)の第一弾として、福岡地所のもと、OMA、前田建設工業と一緒にアクロス福岡の西側に「天神ビジネスセンタープロジェクト」(2021年度完成予定)を手掛けています。また、川沿いをよい環境に整備しようという動きもあります。アクロス福岡の存在もこれらの動きに影響を与えているように思います。
──天神ビッグバンでは、建て替えの規制緩和が進んでいるようですね。
福田 航空法による60mの高さ制限があり、それが街並みをつくっていましたが、それが変わっていくかもしれません。天神ビッグバンによって高さの緩和と共に許容容積率が増えるので、単純に設計すると敷地いっぱいに建つビルになってしまう可能性があります。
淺石 最初にコンペの敷地調査で福岡を訪れた時、60mの高さ制限がつくり出す街並みが東京にない印象で面白かった覚えがありますね。
田瀬 今でもアクロス福岡の屋上に行けば福岡市を一望することができますfig.7。市外の周りの山々も見えて都市が感じられる場所でしたが、天神ビッグバンによってその風景がなくなってしまうとすると惜しいですね。現代はどこの都市も東京のように建物が集積しすぎてきているように思います。また、都市公園法の改正によって、公園内に建築を建てるプロジェクトも増えています。しかし開発した分、自由に使える場所や生物多様性に富んだ緑地をつくらなければ都市がよくなっていかないのではないでしょうか。ただでさえ温暖化しているのに、都市を冷やす要素を減らしてしまうことにもなる。ですから、アクロス福岡のように夏は都市を冷やし、冬は林床に陽を入れて植栽基盤に蓄熱しコンクリートを冷やさないパッシブな建築表皮を積極的につくっていかなければならないと思います。
村松 たしかにどこもオフィスビルをたくさんつくっていて、都市はこのままでよいのかと思いますね。
福田 UIA2011年大会でアクロス福岡を「時がつくる環境」という表現を使い、プレゼンしました。この建物は植物が成長していくことでどんどん姿が変わっていく。つまり、時間をデザインしているようなものなのです。
淺石 建築は竣工した時点がいちばんきれいですが、時間が経つと劣化していきます。一方、植物は時間をかけるごとによくなっていきますからね。
福田 時間をかけてつくると中国で話すと驚かれますね。彼らはとても早いスピードで街をつくっているので、アクロス福岡のように60年かけて山をつくると話すと、日本から学ぶことがまだまだあると言われました。
田瀬 日本においても、同時期にアクロス福岡のような建築が東京や大阪にできていたら、大手デベロッパーが環境に対してもっと利他的な開発をして、その後の都市のつくり方が変わっていたのではないかとも思いますね。
時間をかけてつくり続ける価値
──今後、アクロス福岡がつくった都市の緑がどのようになると思われますか?
田瀬 植物に関しては一種の里山みたいなものなので、大きくなった木は萌芽更新したり、苗木を植える、また外から運ばれてきた種が自生するということを繰り返していくことになると思います。最初の10年は常緑樹ばかりでしたが、さまざまな落葉樹が植え足され混ざっていきました。この先は四季の変化はもっともっと豊かになっていくでしょうね。
淺石 植生が緩やかに変化し風景をつくっていくことは、都心の「山」としての役割を確かなものにしていくことと言えそうですね。
福田 ここ数年の新入社員研修で、アクロス福岡のことを紹介しています。日本設計のビジョンとして「未来価値の共創」を掲げていますが、言葉だけではなかなか伝わりません。しかし、ひとつの例としてアクロス福岡を見せると分かってもらえるのです。植物が育つと共に「未来価値」を育んでいく存在となるのではないでしょうか。
淺石 建築は完成した時にはまだ生活やアクティビティがないので、ものでしかありませんが、使われ始めて建築としての価値や意味を持ち始めていくのだと思います。アクロス福岡の山の内側のアトリウムは広場であり、明治通りと公園を繋ぐ水平動線であり、地下2階から地上階を繋ぐ垂直動線でもあるわけです。完成後、長い時間を経て、そのような小さな街のような市民生活の背景としてステップガーデンは成長してました。この先も、昔ながらそこに存在していたかのような天神ならではの普通の風景になると思います。
村松 私は最近の姿を見ていなかったから、今日現在の写真を見て、とても安心しました。これから建築の役割はその存在が環境に寄与するようなものにならなければいけない。ここではそれが実現されていますね。
田瀬 アクロス福岡のように建築とランドスケープが計画段階から協働したという実例ができたこともよかったと思います。若手のランドスケープの設計者にとってはアクロス福岡が当たり前の存在になっているので、それを前提に新しい建築を考えることができる。スクラップ&ビルドから脱却してヒートアイランドを冷やし、生物多様性に富んだ都市を目指してほしいと思います。fig.8
(2020年9月11日、日本設計にて。文責:新建築編集部/初出:『新建築』2010 建築論壇)