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2022.02.24
Essay

震災をバネに進むまちの再生

若者や移住者と地域を繋ぐISHINOMAKI2.0の取り組み

渡邊享子(2.0不動産代表)

*本記事は『新建築』2015年2月号に掲載されたものです。

宮城県石巻市について

三陸海岸最南端に位置する宮城県石巻市。2011年に発生した東日本大震災の震源にもっとも近い自治体で、死者・行方不明者数は3,961人、全壊家屋は約4,400棟、平地の約30%が浸水し、東日本大震災で最大規模の被害を受けた。浸水面積が広いため、被害には地域差があるが、最も早い時期に形成された市街地である中心市街地は、2mの浸水を受けながらも、川の蛇行により水圧が弱まっていたため、いくらかの建物は流出をまぬがれた。住民たちは残った家屋に住まいながら生業を再生し、津波の被害に向き合ってきた。
石巻の人口規模について考察すると、2014年時点で約15万人の人口を有している同市は、三陸海岸で青森県八戸市に次いで最も人口規模の大きい市街地である。他の津波被災自治体の人口規模が数万人程度であるのに対し、10万人以上の人口規模を保っていることから見ても、石巻市は求心力を持ち、震災後さまざまな人材を受け入れて来たことが分かる。従って、被災地の中でも、都市的なビジネスや地域のコンテクストを汲んだまちづくりに、期待がかけられる場所と言える。
石巻市では、60%以上の市街地が昭和40年代以降に形成されており、この30〜40年間で急速に川沿いから内地へ内地へと郊外化が進んだ。その結果、中心市街地の空洞化は激化した。
震災後の中心市街地では、個別の生業の再生にボランティアを積極的に受け入れ、多くの市民団体や、社会的企業を生んでいる。震災から4年が経過しようとしている現在、「震災復興」という枠組みのみならず「地方都市の再生」という点でどのように発展していけるか、岐路に立たされている。

ISHINOMAKI2.0のはじまり

ISHINOMAKI2.0(以下2.0) とは、地域のプレイヤーと共に地域のリソースを丁寧に拾い上げ、DIY/手づくりでプロジェクトをつくり上げる社会的組織である。プロジェクトを組み立てる過程をオープンにすることによって、地域に新しいビジネスチャンスを生み出し続けている。
同団体は、2011年5月に川辺の中心市街地で生まれた。震災後、瓦礫だらけになり、街の灯りは消え真っ暗になった街の片隅に、14代続く阿部新旅館があった。旅館の1階に改修、オープンさせたばかりの割烹料亭松竹は津波によって大きな被害を受け、前面の道路には川から打ち上げられたプレジャーボートが突っ込んでいた。しかし幸いなことに、この旅館の2階はそれほど被害を受けずに残っていた。この旅館の2階に夜な夜な集まる若者たちがいた。これが現在のISHINOMAKI2.0の始まりである。
夜ごと行われる会合では、30〜40代の地域の若者たちがお酒を酌み交わしながら、この震災を「チャンス」と捉え、この街をどのように面白くするか、意見を交換していた。その中には、震災前から割烹料亭松竹の改修のためこの旅館に関わっていた建築家を始めとして、さまざまな分野における同世代のクリエイターが混ざっていた。その場に集まっていた人びとにとって、地域のしがらみに捕われずフラットに意見を交換できる環境は刺激的なものであった。
こうしたフラットな意見交換から、野外映画上映会、STAND UP WEEKfig.2fig.3、石巻工房fig.4など、さまざまなアイディアが生まれた。さらに2011年6月にはそれらのアイデアを具体化させるために、「ISHINOMAKI2.0」が12名のメンバーによって結成され、翌年2月に法人化した。
初期プロジェクトの中で代表的なものは、「復興バー」fig.5というプロジェクトである。復興バーは、震災後、多くの飲食店が閉店し夜の社交の場がない中で、フランクな意見を交換できる場づくりをしようと、2.0のメンバーがつくったバーである。10坪足らずの空き店舗をすべてセルフリノベートし、狭いがスタイリッシュなバーとして震災から4カ月後の7月下旬にオープンした。最初はマスターとして2.0代表の松村豪太が店頭に立っていた。
毎日、その場を訪れたのは地域の重鎮から、若者たちまで……。カジュアルに街の未来について話せる場所を求めて、日々さまざまな世代の人びとがやってきた。こうして対話をする場を生み出すことで、気軽にアイデアを出し合える環境が生まれ、さらにそのアイデアからさまざまな実際のプロジェクトが生まれたfig.6fig.7fig.8fig.9
そのうちに、バーには地元水産会社の社長や、Uターンの若者、ミュージシャン等、さまざまな人びとがマスターとして店頭に立つようになった。2013年には、東京・銀座でも同じシステムのバーが期間限定で誕生した。
このように、すべてDIYで場所をつくり、プロセスをオープンにしていくことによって、地域の枠を超えてさまざまな人を巻き込んでいく。こうして、2.0はいくつものビジネスプロジェクトを生んできた。
さらに、ここに集まったことを原点として世界的な市場を持つ家具メーカー、ITの教育活動、ジビエレストランなど独立したメンバーもさまざまな事業を生んだ。
活動が発展する中で、まちづくりに関わりたい20〜30歳代を中心とする若者が地域内外から訪れ、2.0に就職した。この中には、これまでなかなか表舞台に出ることのなかった地元の志ある若者たちもいる。こうした若者たちが独自の発想をかたちにし、次の世代に繋いでいけるようなサイクルを生み出すことが、本団体の最大の意義であり、今後に向けたミッションであるといえる。

2.0不動産の歩み

2.0不動産は、ISHINOMAKI2.0の活動の中から生まれたチームで、東京で、建築・デザイン・広告を学んだ20代の若手メンバーによって運営されている。空洞化が進む石巻の中心市街地において、2.0不動産は空いている空間をDIYで改修してアクティブにすることで借り手と貸し手双方のミスマッチを解消する。また、震災後に移住した若者を空洞化した市街地に繋ぎ、定着を図る過程で、世代を超えた新しいコミュニケーションを創出し、街に賑わいを生み出す「暮らしの場」をつくり出している。
震災後、石巻市内には、2012年3月までの1年間に、延べ28万人のボランティアが訪れた。その中の200〜300人程度は現在も市内に残って、さまざまな仕事をしている。引き続き、NPO等の市民団体に所属し、ボランタリーな活動をする人や、自分で事業を起こす人、地元企業に就職して右腕的存在として働く人、漁業等の一次産業に従事する人等、さまざまな人がいる。こうした人びとは震災後の住宅不足の中で、適正な住宅にめぐり合うことができない状況にあった。こうした新規移住者は、震災当初はテント生活を送りながら支援にあたっていた。支援が長期化していく中、2011年の秋頃には大人数で家を借り上げて、共同生活をおくるようになっていた。いずれにせよ、楽しいながらもあまり環境のよい住まいとは言えない状況を強いられていた。
一方で、被災した沿岸の集落や市街地は高齢化や空洞化が進み、コミュニティの持続に問題を抱えていた。地場産業の継ぎ手となる世代の多くは進学を機に地域外に流出してしまっていた。移住者を積極的に受け入れることが必要と分かっていながら、市街地の不動産ストックの70%以上は持ち家で、職業も自営業が多く新規の担い手を受け入れる基盤が不足している状態である。
こうした場に、震災後の移住者を繋ぐため、不動産のあり方を考え直すことが、われわれの大きな役割と言える。
2.0不動産の活動の始まりは中心市街地にある一軒の空き家を最低限改修して震災後の移住者に繋いだことであった(「千石町ハウス」fig.10fig.11)。壁の色を変え、自分たちが世界中で集めた家具を置き。汲み取り式のトイレをコンポストトイレに変えたり、風呂を自分好みの空間にしてみたり、軒先の空間で家庭菜園を始めたり。この活動の対象としている若手の移住者が求めているのは、必ずしも「快適」で「完成された」空間ではなく、不自由な中にも自分たちの暮らし方を表現できる場なのだと実感した。一軒目となったこの家は、住み手が生活を始めたことでようやくでき上がったと言える。最初は、1年間住むかどうか自信がないと言っていた住まい手だが、この家が地域と彼らの結節点となり、現在でも継続的に居住している。自らの暮らしに、自ら手を入れることで街と自分との接点を見い出すことができるのである。
こうして2.0不動産は、開始から2年間で市内における7件の店舗・住宅の改修とマッチングに関わった。改修作業はすべてメンバーによるDIY。右も左も分からない中で、地元の高校生・大学生・Uターン、Iターンの若者たちを巻き込みながら施工を行っている。改修のプロセスをオープンにすることによって、関わる若者達も自分達の手で「街をつくる」実感を得ることができるのである。
そして、最も大きな効果は、大家さんと入居者の直接的なコミュニケーションが生まれたことだ。市内の独居高齢者は2010年のデータで約5,000世帯。20年前の10倍にまでふくれ上がっている。これは旧市街地のご高齢の不動産オーナーも例外ではなく、一日の生活で会話を交わす人が非常に限られている中で、空き部屋の片付けやDIYの改修に関わる若者たちに毎日のように接することは非常に刺激的な体験となる。もちろん、若者たちも、これまで中々接することの無かった年配の世代と生活を共にし、街に対する見え方が変わっていく。
上記を具体的に形として表したのが、次項に紹介する「SHARED HOUSE 八十八夜」の取り組みである。
総じて、これからの地方都市を再生するためには、街の資源をひとつひとつ拾い集め、欠けたパズルのピースのようなそれらを丁寧に継ぎ合わせながら価値を再定義していくことが非常に重要になる。たとえば、ISHINOMAKI2.0および2.0不動産の取り組みは、単に「空き家活用」、「中心市街地の定住促進」という枠組みを超えて、街での暮らし方そのものに揺さぶりをかけ、高齢化、教育、産業等々、さまざまな分野の課題に総合的にリーチしている。こうすることによって、高齢化や経済的空洞化等、地方都市にありがちな課題に対してアプローチの方法が変わってくるだろう。

(初出:『新建築』1502)

渡邊享子

1987年埼玉県生まれ/2012年東京工業大学大学院社会工学専攻修了/2011年、大学院在学中に東日本大震災が発生、研究室の仲間と共に宮城県石巻市へ支援に入り、移住/2014年〜ISHINOMAKI2.0理事/2015年に巻組設立。資産価値の低い空き家を買い上げ、クリエイターをターゲットとした大家業をスタート。シェアやリユースを切り口に地方の不動産が流動化する仕組みづくりを模索中/2019年に第7回DBJ女性新ビジネスプランコンペティションで女性起業大賞受賞

渡邊享子
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新建築 2015年2月号
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撮影:新建築社写真部

石巻最大の祭り「川開き祭り」に合わせて開催する、まちを知り・楽しみ・未来を語る1週間のイベント「ISHINOMAKI STAND UP WEEK。/提供:ISHINOMAKI2.0

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地元の人びとの自立復興するきっかけとなり、復興後の長期存続も可能な「地域のものづくりのための場」として、建築やプロダクトにかかわるデザイナーらによってつくられた「石巻工房」。オリジナルの家具や、バッグをつくって販売している。/提供:ISHINOMAKI2.0

空き店舗をセルフリノベーションした復興バー。/提供:ISHINOMAKI2.0

震災前から使われていなかった場所を宿泊場所として開放。ボランティア活動や復興関連の作業に訪れる人びとのために、安価で宿を提供。2013年に事業は終了した。/提供:ISHINOMAKI2.0

本好きのひとたちが気軽に集まるためのまちなか拠点。本の貸し出しや古書販売もしている。被災地に本を送る活動を続ける「一箱本送り隊」との共同事業。/提供:ISHINOMAKI2.0

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オープンシェアオフィス「IRORI石巻」。石巻工房とハーマンミラー社によって改修がなされた。無線LAN、電源を無料で解放。/提供:ISHINOMAKI2.0

空き家を最低限改修し移住者へと繋いだ千石町ハウス。2.0不動産の最初のプロジェクト。/提供:ISHINOMAKI2.0

空き家を最低限改修し移住者へと繋いだ千石町ハウス。2.0不動産の最初のプロジェクト。/提供:ISHINOMAKI2.0

fig. 11

fig. 1 (拡大)

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