パブリック・トイレの存在
浅子 僕は、2017年からLIXILと一緒にパブリック・トイレの研究を行ってきました。その連載の序文として書いたのは下記のようなテキストです。
「公共のスペースであり、誰もが使う場所でありながら、ひとりで使う場所。あらゆる部屋のなかで、最もプライバシーが求められる空間でありながら、人種も世代も超えて、見も知らぬ人々が共有して使う場所。そして、排泄は誰もが一日のうちに何度も行なう行為なので、あらゆる場所にパブリック・トイレは存在する。(中略)その意味で、こう言っても大袈裟ではないように思う。パブリック・トイレは最小の公共空間──パブリック・スペース──である、と。」
(2017年05月30日公開「なぜいまパブリック・トイレを考えるのか」より)
これは今でもそう思っていて、パブリック・トイレについて考えることは、現在のように分断が進み、パブリックについて考えることが難しい時代に、それでも公共的な空間を考えるきっかけを与えてくれると思います。そこで本日は、長年パブリック・トイレの設計を行ってきた小林純子さん(設計事務所ゴンドラ主宰)に、改めてお話を聞かせていただきます。まず、パブリック・トイレとは社会や人びとにとってどのような存在だと考えていらっしゃいますか?
小林 パブリック・トイレといっても、公衆トイレから商業施設や学校のトイレまで、さまざまな場所にさまざまな名目のトイレがあります。その中で公衆トイレは、日本国憲法第25条に記載されている健康な人の暮らしに繋がる基本的存在だと思います。そして、公共空間の象徴的存在ではないでしょうか。そこに快適さの持続が難しく課題が多くても公衆トイレが存続している理由があります。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(日本国憲法第25条より)
しかし、公共空間の象徴的な公衆トイレの現実は、利用者の匿名性が高く、犯罪や破壊行為、汚損などが頻繁に起こる場で社会の縮図的様相さえもっています。今でも、6K(怖い、汚い、暗い、臭い、窮屈、壊れている)といわれるトイレが多くあり、人びとには不快な場所であるという既成概念が植え付けられている場所です。もともと有料だったフランス・パリの公衆トイレ「サニゼット」fig.1は、2006年に無料化されました。その背景には、有料だと公衆トイレを使わずにその周りで排泄を済ませてしまう人が多く、街の衛生が保てないという問題がありました。そういった実態を見ると、トイレは街の衛生を司っている場所なのだと気付かされます。また、人間の生理にもとづく場所なので、誰もに対しても平等でなければなりません。一方で、トイレの役割には、1人になれるところ、化粧や身繕い、カバンの整理など、人前でできないことを行う場所、素の自分に戻る場所として利用している人も多いことがアンケートから分かっています。パブリック・トイレの難しいところは、個人的行為を他人と共有するという点です。公共の場所であり、個人の場所であり、プライベート空間を共有する、本当に珍しい場所です。人びとにとってなくてはならない空間ですが、状況から嫌悪施設にまでなっている場所だと思います。
パブリック・トイレを取り巻く社会状況の変化
女性の社会進出
浅子 小林さんが設計に携わり始めた35年前と現在とでは、パブリック・トイレはどのように変化がありましたか?
小林 もともと日本では排泄を語ること自体が長年タブーとされ、建築的にも影の存在としてずっと消極的な扱われ方をされてきました。アンケートを取ると、多くの人がトイレは恥ずかしい場所であるという感覚をもっており、建築的にも隅の目立たぬ場所に配置され、外から見えにくい閉鎖的な空間だったのです。
1985年に男女雇用機会均等法が制定され、その頃から女性の社会的進出がさらに盛んになりました。いざ女性が社会に出ると、女性の感性や体力、体型など、心理的にも物理的にも対応できるように要求が強くなり、安全で綺麗で、化粧などもできるトイレへ変わりました。アンケートでも、男性に比べると女性はトイレにこだわります。これまでは女性がトイレを変えてきたといって過言ではないと思います。
大勢から個の時代へ
小林 この35年ほどで、戦後の量不足の時代から、だんだんと質の向上、個を大事にする時代へと、文化や価値観が変わってきています。それに沿うように、画一的で機能的だった公共トイレが個別性や利用者のニーズを大切にしたトイレに大きく変化してきました。個を大事にしようとすると、ひとりひとりがどういう人なのかを見ていくことになります。私は、パブリック・トイレの設計をする以前は住宅の設計をしていました。住宅の設計は、建主との打ち合わせの中で彼らの言葉からその深層心理まで察知し、モノをつくっていく側面があります。しかしパブリック・トイレの場合は、たくさんの顔の見えない利用者を相手に設計しなければなりません。はじめてパブリック・トイレの設計に携わった時は、利用者が見えないことが怖くて仕方がありませんでした。利用者に満足いくものを届けたか分かりにくいからです。なので、実態の分からない全体のために設計するのではなく、たくさんの個がそれぞれ満足するためにはどういうトイレであるべきかを考えています。fig.2fig.3fig.4fig.5fig.6
浅子 なるほど、今の話は深いですね。ひとつのトイレでも24時間365日、本当にさまざまな人が使っていて、それはみんなバラバラの個人です。それらの個人がそれぞれどうやったら満足し、快適に過ごせるかということを本当は考えなければいけないのですが、そう考えた途端にものすごい情報量を扱うことになるので、普通はなかなかトイレひとつに対してそこまですることができない。どうしても抽象化された「みんな」について考えざるを得なくなる。ところが、数多くのパブリック・トイレを設計されている小林さんが、「みんな」ではなく、あくまで「個」を意識されて設計してきたという話は、とても重要だと感じます。
小林 人びとがトイレに期待してきたのは、安全安心、いつでも清潔、誰でも平等に使いやすい場所、そして、メンテナンスがちゃんと行き届いていることです。また、緊張感を解く場、街の貴重な個室としても大事にしてきました。35年前はまだ、男女の区画のないトイレがたくさんありました。人びとの期待に応える具体策のひとつは、男性と女性の間に壁を立てて配置することでした。今でも、女性の中には無意識に個室の埋まっている場所を確かめたり、人が入っている個室と離れた場所を選んで使っている人も多いと思います。まだ飲食店などでは残っているところもありますが、男女共有のトイレは安全面で女性の不安を煽るものであり、解決すべき大きな課題でした。
この35年の中で成功事例とされているのは、商業施設に設置されたトイレです。NEXCOや地下鉄、空港などある時期に民営化した機関は、利用者本位につくることを商業施設のトイレに学び、そこに交通機関の特色と課題を加えて試行錯誤を重ねることで、トイレの快適化をつくっていきました。
浅子 確かに商業施設は特に女性のトイレを充実させていますよね。それが利用者の満足度と売り上げにも繋がっています。設計事務所ゴンドラでは、人びとがトイレのどこに魅力を感じているのか、また、どこのトイレが先駆けだったのかなど、リサーチされているのでしょうか?
小林 平塚駅の駅ビル「ラスカ平塚」(1973年)では、20年間同じ設問でアンケートをとりました。「トイレを使うためだけにここに来たか?」という設問に対して「はい」と答えた人は40%に上り、それはつまりトイレに集客力があることを示していますfig.7。また当時、コーポレート・アイデンティティという言葉が使われ始めた頃で、企業が業態をどんどん変えようとしていました。その動きのひとつが、松屋銀座とLIXILが連携して行った、女性のトイレをきれいにしようという取り組みです。設計者は早川邦彦さん、アドバイザーが坂本彩子さんでした。「松屋銀座コンフォート・ステーション」(*1)fig.8fig.9は、個室がパステルカラーで塗り分けられ、丸や三角、四角などさまざまなかたちをしていました。それまでのトイレは十把一絡げで画一でしたが、統一された色調の中にさまざまな色・かたちの個を挿入して見せていく。そしてパウダーコーナーも充実させる。このトイレは個を大事にしてることを意味していると感じました。
未来のパブリック・トイレ
浅子 松屋銀座とLIXILの例は、いろんな人がエポックだったといっていますね。一方で、個の充実ではなく、「すべての人に平等な場所」としてパブリック・トイレを考えた時、これまであまり取り組まれてこなかったと思われることはありますか?
小林 自分たちがやれてきていないことはふたつあります。ひとつは、すべての人が利用可能なトイレの実現とその商品開発。もうひとつはメンテナンスする人のことを考えた持続する快適さの実現です。
多様な人びとのためのトイレのあり方
小林 今まで取り残してきた対象の人びとへもっと使い易いトイレを提供することです。知的障害や聴覚障害、視覚障害を抱える方、認知症、高齢者、性的マイノリティの課題への積極的解決方法を丁寧に探ることです。最近、認知症高齢者のための空間デザインを研究されている日本工業大学生活環境デザインコース教授の野口祐子さんの調査に同行させていただいたことがあります。その調査は、トイレに調査用の窓を開けておき、認知症の方の実際の行動を観察するというものでした。認知症もいろんな段階がありますが、自分がずっと行ってきた習慣は結構分かっていらっしゃいます。しかし、たとえば、ドアの鍵を閉めようとした時にいつもと鍵の形状が違うと鍵の掛け方が分からなくなってしまう。流す時にたくさんのボタンが並んでいるとどれが流すボタンなのかが分からなくなってしまう。また、半数以上の人が流すのに困った時に、ボタンの中で最も目立つ非常ボタンを押していました。
一方で、視覚障害者の人にはボタンが見えないので、ボタンの場所が分かりません。2007年にJIS(日本産業規格)として、ペーパーホルダーの上に洗浄ボタン、内側に非常ボタンを置くという三角のルールが公表されています(*2)。手摺りやトイレットペーパー、便座シート、各種ボタンなどを座って手が届く1mぐらいの範囲に設置する必要があります。しかし、トイレは狭いうえ設置すべきものが多く、実際はそんなに理想通りにいきません。われわれ建築家やデザイナーは、つい小さく収めたり、かっこよく統一することに心を奪われてしまいますが、ボタンのデザインや配置などをもっと大きく分かりやすくすることを心がけなければなりません。
浅子 ピクトグラムは、トイレに関する製造メーカーを会員とする団体「日本レストルーム工業会」が、2017年1月にトイレ操作パネルの標準ピクトグラムを発表していますが、まだまだ統一されていないですよね。個人的にも便器洗浄は分かりにくいし、小さなボタンは使いにくいと感じていたので、確かに自分で設計すべきだなと思いました。事例が増えていけば自ずと解決策が見つかるでしょうし。
近年、多様な性を認める潮流がありますが、性だけが多様性の問題ではないわけで、今挙げてくださったような人を含めて、トイレのあり方を真剣に考えるべきだと思います。
性的マイノリティとトイレ
浅子 とはいえ、やはりお聞きしたいのですが、性的マイノリティに対して、トイレはどうあるべきだと思いますか?
小林 今まで、当然のように男女に分けて組み立ててきたトイレの基本に、新しく大きなテーマが加わった感があります。今までのトイレは、先導者を女性として質を上げてきました。そしてトイレが居心地よくなりました。培ってきた質を下げず、誰もが我慢せず、みんなで共存していく方法を探っていく必要があります。最近、性的マイノリティに対応したトイレをどう考えたらいいか海外から相談があって、スケッチしてみました。その中で思ったのは、たとえば男女の壁をなくして男女共用の個室を並べると、一見平等に見えますが、今まで実践してきた男女の性差への対応などは反映しにくかったです。
大きな要望は清潔と安全性ですが、女性と男性では便器の使用方法が違うので、清潔さや安全性は低下しそうです。また、女性は、トイレをそのほかの行為(化粧、身繕い、休息など)にも利用していますが、その場は縮小されます。女性の生理の処理などに関しても不都合はないのか等、男女共用トイレでは、性の公平性以外は質が低下しそうです。しかし、性的マイノリティの方たちへの提案を模索するのは、改めて当たり前を疑ってみる新鮮な機会でした。今までずっと追求してきた4つの条件(安心、清潔、居心地、使い心地)は、どの性にも求められて当然です。一方で、たとえば男女を同じ空間に戻して個室をフラットに並べると、今度は女性トイレの快適さをないがしろにすることになるわけです。
今までさまざまな利用者のニーズをひとつずつ汲み上げてきて設計してきた私にとって、男女のスペースが一緒だった一昔前に戻ろうとするのは、ずいぶん貧困な解答に思います。設計者は、もっといろんな方法を試してみるべきです。場所によっても解答は異なるかもしれません。常駐の管理者もいない公衆トイレとデパートでは、まるで勝手が違います。デパートの場合、1カ所で多くの利用者に満足できるようなものができなければ、階ごとに仕様を全部を分けることもできます。男女共用のみの公衆トイレは、かなり安全性に問題が出そうです。日本のトイレが快適だといわれていた理由には、個々の要望に寄り添ったものを場所別のふるいにかけ、丁寧に設計してきたことがあると思います。今まで自分たちが培ったものをきちんと見極めて、次の課題に応えたいです。日本のトイレのこれからの課題は、トイレに割く面積です。多様化が進む中、質を落とさず共存するとなると、面積を広くしてほしいと思います。
浅子 なるほど。貧困だというご指摘はなかなか痛烈ですね。確かに個室をフラットに並べて解決しようとすると、全員が満足する代わりに全体的なトイレの質が低くなる。30年間快適なトイレのためにさまざまな人がさまざまな取り組みをしてきたのに、本当にそれでいいのか、小林さんならではの問いだと思います。また、女性と男性のそもそもの使い方の差があった時、一緒に使おうとして快適さを奪われるのは綺麗に使っている人たちなので、そういう意味でもなかなか難しい。ある意味、綺麗で快適なトイレが当たり前になってきたからこそ、自分たちで自国の文化のよさを忘れてしまっているのかもしれません。
次なる存在、メンテナンス
浅子 先ほど、影の存在だったトイレがだんだん日向の存在へと変わってきたという話がありました。しかし、たとえば建築家が設計するトイレは、表層的な美しさは追求されている一方で、丈夫で長持ちで清潔で安全なトイレを第一に考えているわけではないので、メンテナンスという課題が残っているように思います。メディアもできたばかりの美しいトイレの写真だけを掲載する。そうなると、建設後に発生する問題は表では語られないので、メンテナンスが影の存在として現れます。メンテナンスの大変さを知れば、設計者もメンテナンスの負担が軽くなるように工夫しようと思うだろうし、メディアも安心安全で丈夫で長持ちで清潔なトイレこそが大事なんだということをちゃんと伝えようと変わってくるかもしれない。ただ現状では、いつまでたってもその問題がないがしろにされているようで、なかなか辛いですね。
小林 私も参加している日本財団のプロジェクト「THE TOKYO TOILET」は、槇文彦さんや坂 茂さん、坂倉竹之助さんなど、ガラス張りのトイレを設計された方が結構多かったですよね。メンテナンスという点では確かに課題が残りますが、コンセプトとして公衆トイレの暗い印象を払拭していたり、安全や快適性については徹底的に考えていらっしゃると感じました。
これから私がライフワークにしたいと思っているのは、メンテナンスの人との共同提案です。現在、竣工後の情報は意識して取り組まない限り入ってこなくなる受注システムができあがっています。自分がよかれと思ってやった設計の結果に向き合ってトイレの設計をステップアップしていく。そのためにはメンテナンスの人との協同が鍵を握ります。たとえばプロポーザルやコンペで、設計からメンテナンスまで一緒に提案していくという方法もあるのではないかと考えています。設計者、管理者のどちらのためにもなりますし、トイレ自体の質の向上になるのではないでしょうか。
浅子 危険の潜む影の存在であったトイレを、ポジティブにすることは達成してきているのと同様に、メンテナンスの部分に関しても解決していけるのではないかということですよね。
一方で、設計者の意識と合わせて、利用者の意識を変えていく必要性も感じます。アンケートを行うと、男性はトイレの使い方に関してほとんど意見がなかったとおっしゃっていましたが、女性の方がトイレや衛生面に関しても関心が強いので、使い方も男性ほど汚くないのだろうと思います。男性の公衆トイレは、場所によっては絶望的に汚いところがありますから。他方で、綺麗に保つために有料化すると、今度は最初におっしゃっていたパブリック・トイレが街の衛生を司る場所であり、誰もが平等に使える場所だという本来あるべき姿とバッティングしてしまう。結局、堂々巡りになってしまうのですが、少なくとも利用者の意識が変わっていかないと変わらない部分がどうしてもありますよね。
小林 公共のものを共有の財産だと思っていないのでしょう。公衆トイレは、忌み嫌ってても実は自分の財産でもあります。このトイレは自分たちがお世話になるもので大事なものであるという意識を育んでいく。そこがマナーへの意識を培ってくれるのではないでしょうか。見守る気持ちをどう育てていくかが、ひとつの解決への糸口です。最後に、学校や被災地のトイレなど、パブリック・トイレの課題はたくさんあります。この議論は、根源的だから面白いですよね。だからもっと多くの人たちと話をしてみたいです。fig.10
*1:本記事の配信に伴い、「松屋銀座コンフォート・ステーション」が掲載された「INTERIOR LANDSCAPE リニューアルプロジェクト3題」(『新建築』8810)を新建築データで特別公開しています。
*2:このアイデアは日本提案の下、国際標準化機構(ISO)の規格として承認され、「ISO 19026 アクセシブルデザイン公共トイレの壁面の洗浄ボタン,呼出しボタンの形状 及び色並びに紙巻器を含めた配置」という名称で2015年12月15日に発行された。
(2021年7月29日、設計事務所ゴンドラにて。文責:オンライン編集部)