新規登録

この記事は下書きです。アクセスするログインしてください。

2024.04.17
Interview

鎌倉・逗子・葉山(かまずよう)の建築アクション

アーキテクチャの存在価値を更新する・レクチャーシリーズ #3

日髙仁(SLOWMEDIA)×内野陽平(THE GOOD GOODIES) 聞き手:清野由美(慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員)

新建築書店|Post Architecture Booksでのレクチャーシリーズ。第3回は、近年空き家のリノベーションなどを通し、多くのコミュニティスポット、新たなライフスタイルが生まれている神奈川県の鎌倉・逗子・葉山エリアに注目。逗子・小坪地域で自宅兼カフェ・フリースペース「南町テラス」を営む建築家の日髙仁さんと、鎌倉駅西口でコーヒースタンド「THE GOOD GOODIES」を営む内野陽平さんをお招きし、活動の根底にある思いや今後の都市のあるべき姿について伺いました。(編)

空間の理想的なあり方を見つけるための小さなアクション

清野 今回は、近年ライフスタイルの先端地として注目を集める神奈川県の鎌倉・逗子・葉山(かまずよう)エリアに注目します。同エリアでは今、空き家や空き部屋をリノベーションしたコミュニティスポットや店舗が数多く生まれ、街に活気を与えています。それは都市のカスタマイズともいえる動きです。そこに、人が都市に縛られるのではなく、人が都市を使いこなす、望ましい未来像があると感じています。
コロナ禍の前後、日本ではタワーマンションの建設ブームが起こりました。私はタワーマンションを現代的な生活スタイルとして、あるいは経済モデルのあり方のひとつとして否定するつもりはありません。ただし、それが現代のメインストリームなのであれば、それとは違うモデルを発信することが重要だと考えています。そのひとつのモデル地域となるのが、かまずようエリアです。
かまずようの特徴は、多種多様な仕事が街から生まれているところにあります。戦後の日本は、生き方・仕事観が会社員一択に染められた時代を長く過ごしてきました。その中でこのエリアでは、ショップオーナー、起業家、フリーランスやリモートワーカーなど、自立的な仕事を選んだ人びとが、近隣のコミュニティと繋がりながら、自分ならではの生き方を実践している例が多く見られますfig.1fig.2。それらのアクションの中心的な担い手となっているのが、建築家です。
今回は、逗子・小坪地域で木造住宅を改修した自宅兼カフェ・フリースペース「南町テラス」fig.3を営む建築家の日髙仁さんと、建築を学ばれ、現在は鎌倉駅西口でコーヒースタンド「THE GOOD GOODIES」fig.4を営む内野陽平さんをお招きし、その活動の一端を伺いたいと思います。まずは日髙さんから、逗子に移住された経緯と、現在までの主な活動を教えていただけますか。

日髙 私は2010年、40歳を前にして、逗子の小坪地区に移住し、古い一軒家を改装して「南町テラス」をつくりました。30代の頃は磯崎アトリエに勤めながら、建築家の西澤高男さん、山代悟さんら友人達とResponsive Environmentというメディアアートユニットをつくり、活動していました。2002年には、「ROPPONGI THINK ZONE」という、六本木ヒルズ開発のプレ・プロジェクトとしてオープンしたアートスペースに招かれ、「Tower of Gravity/重力の塔」というインスタレーション作品を発表しましたfig.5。コマーシャリズムに則ってスクラップ&ビルドを繰り返す都市の不可思議さをテーマとして、開発に伴って解体される映画館を撮影し、2枚のスクリーンに投影しました。僕は当時西麻布に住んでいて、もともとあった風景を更地にし、そこにまた新たなものを建てるという状況に、街が浮き足立っている雰囲気を感じていました。そんな違和感から、2006年に鎌倉市七里ヶ浜に居を移し、小坪に辿り着いたという経緯です。
小坪は昔ながらの小さな漁村で、戦後、海沿いにはリゾート施設、湾を囲む山の上には高級住宅地が開発されましたfig.6。「南町テラス」はその高級住宅地と湾の間の小さな集落に位置します。集落には車が入れないほど細い路地がネットワークのように張り巡らされていますfig.7。住宅を建てる上ではネガティブな敷地条件ですが、子供が安心して歩け、すれ違う人が自然に挨拶するような、小さなスケールが心地よくて、ここに住むことを決めましたfig.8fig.9

清野 首都圏でここまで昔ながらの風景が残っているのは珍しいですね。

日髙 擁壁に囲まれた傾斜地なので、路地を拡幅しようがなく、この風景が保たれています。「南町テラス」をつくる際は、敷地いっぱいに建っていた既存住戸の半分を改修し、もう半分に新築の棟を建て、その間に路地を引き込むことを最初に決めました。この路地を突き当たると、海を一望できるカフェの席があるという構成にしていますfig.10fig.11fig.12。写真を見ればお分かりかもしれませんが、あまりお金をかけずに楽しみながらつくりました。

清野 建材は中古のものを集められたのですか?

日髙 海が近いため、既存のアルミサッシが傷んでいたので、古民家から集めた木製建具に差し替えました。木は塩害に強いので。

清野 中はどういった構成になっているのでしょう。

日髙 1階をカフェ、2階を居住空間としていますfig.13。路地にはグリーンカーテンを張っていて、夏場はかなり繁りますfig.14。風呂は2階のリビングからレベルを少しあげ、海を見ながら入れるようにしましたfig.15。洗濯物は、外に干すと潮風でシワシワになってしまうので、屋根をトップライトにし、ここで干すようにしています。強い海風に対応するために、庇を兼ねた跳ね上げ式の雨戸もつくっていますfig.16。強風の際はこれを閉じて、風を上に逃す仕組みです。こんなふうに、生活に必要なものをDIYでつくりながら暮らしています。

清野 まさに文化人類学者のレヴィ・ストロースがいったブリコラージュのような暮らしですね。改装した当初からカフェを開くつもりだったのでしょうか。

日髙 最初はカフェにするつもりはなかったのですが、竣工後に地元のお母さんたちが「カフェでもやったら」と、妻にぽつりと言ったらしく、それに背中を押されて開業しました。山本理顕さんが提唱する「地域社会圏モデル」は、住宅の半分を地域に開かれた「見世」、もう半分をプライベート空間の「寝間」として、地域を社会圏としても経済圏としても豊かにするというものですが、「南町テラス」でいえば1階が見世、2階が寝間という構成になっていますfig.17。このエリアでは今、そういう暮らし方をしている方が多くいます。
カフェには地元の長老たちもよく来てくれるのですが、「七里ヶ浜のような綺麗な場所から、なぜわざわざ小坪地区に引っ越したのか」ということを聞かれます。私はこの路地街の風景やスケールが好きだったのですが、地元の人たちは開発が遅れた後進地域だと感じていたんです。その魅力を地域で見直してほしいと思い、路地をギャラリーに見立ててアーティストに展示をしてもらう「小坪・路地展」というイベントを開いたり、地域のまちづくりについて考えるワークショップを開いたりしていますfig.18

清野 昭和の商店街の店舗併用住宅と同じような構成をここでつくられている。ブリコラージュ的な暮らしの中に、自由さと楽しさを感じます。

日髙 やはり生きていく上で、楽しいことは大事です。鎌倉・逗子・葉山に限らず、首都圏のフリンジエリアでは、利便性と環境の良さから面白い人や活動が生まれている地域は多くありますが、そこでのキーパーソンに共通するのは、そういう身軽さと自由なマインドをもっていることです。これから人口減少、空き家の増加がどんどん進んでいく中で、そういう生き方が、街に対してどのような可能性をもたらすかということに、すごく興味があります。
大学で学生に教える時もその意識を伝えようとしています。そこで、私のゼミでは軽トラックを改造し、簡易なカフェ営業ができるキッチンカーをつくったりしていますfig.19。学生が営業し、お客さんとコミュニケーションを取るというのが、お金を稼ぐこと以上の目的です。また、同じような取り組みとして、三浦市で「チャリピク」というプロジェクトも手がけています。市の電動レンタルサイクルを改造し、コーヒーミルやアルコールバーナーなどを入れた手づくりのピクニックセットを備え付け、市内を巡ってもらうというものですfig.20。今では地元の人がガイドを務めるまでに定着しています。

清野 なるほど。こうしたゼミ活動の中で、日髙さんがこれまでに培ってきた建築的な視点はどのように活きているのでしょうか。

日髙 大学での私の専門はコミュニティデザインなので、明確に建築的な視点が活かされているかというと、分かりません。ただ、こういう小さなアクションの延長に「建築」があるとは思っています。たとえばチャリピクの際、地元の方のビニールハウスを借りて休憩所代わりにすることがあります。そうすると、そういう休憩所がピクニックルートの各所にあったらいいね、という議論に繋がります。それは、地元の空間の理想的なあり方を見つけていく作業ともいえます。空間づくりとコミュニティデザインの境界を特別に意識していない、というだけのことなのかもしれません。

清野 「南町テラス」で住宅として必要なものを見つけ、DIYを重ねていくように、空間をつくる前のプロセスもひとつの建築的なアクションととらえられるということですね。

身体スケールで行う場づくり

清野 内野さんは京都精華大学で建築を学ばれ、卒業後、2010年に鎌倉に移住し、現在は鎌倉駅西口でコーヒースタンド・THE GOOD GOODIESを営まれています。大学を出て企業に就職するという道、建築設計という道を選ばなかったいきさつを教えていただけますか?

内野 もともと在学中からカフェに興味があり、いつか自分で設計した建物で飲食店をやってみたい、という大きなビジョンをもっていて、カフェやバーでアルバイトをしていました。もちろん建築やものづくりにも興味があったので、卒業後は鉄工所で働いたりもしていました。飲食店を営むことと、建物を設計するということへの考えがいつかひとつにまとまればと思い、まずは自分がやりたいことからやってみようと思って今に至っています。

清野 2013年にTHE GOOD GOODIESを開業されていますが、そこに2011年に起きた東日本大震災の影響はあったのでしょうか?

内野 鎌倉に移住して鉄工所で働き始め、半年ほど経って東日本大震災が起きました。それから地域の絆やコミュニティの大切さが盛んに説かれるようになるのですが、僕自身も、地震の影響で仕事が減り、生活が不安定になった時、そういうものの大切さを実感しました。そこで、僕が学んできた建築やものづくり、飲食の経験がどう活かせるかと考え、当時バイトしていたバルを間借りし、朝限定でコーヒーを売り始めたことが、今のTHE GOOD GOODIESに繋がっています。

清野 今だと店舗の一部を間借りするという話をよく聞きますが、当時は珍しかったのではないでしょうか。

内野 そうですね。大学を卒業してまもなかったので、地元のみなさんは快く受け入れてくれました。鎌倉には、そういう新しい動きを許容する土壌があります。

清野 当時はどうやってコーヒーを売っていたのでしょうか。

内野 朝限定で販売していた時は午前7時から営業し、電車で出勤する方をターゲットに、小さなカップで1杯100円で売っていました。あくまでもビジネスなので、お金をいただくことは大事ですが、それ以上に、コーヒーをコミュニケーションのきっかけにし、気持ちを落ち着かせて次の場所に向かうような、街の中継地点にしてほしいという意識でいました。

清野 日髙さんが行っているコミュニティデザインやフィールドワークと同じように、店舗運営を通して街のあり方を考えるためのプロセスを積み重ねているのですね。

日髙 内野さんの店舗は非常に細かくつくり込まれていますよね。プロダクトのひとつひとつの完成度が高く、空間に対する愛着を感じます。その背筋を伸ばしたおもてなしの空気感が、空間によく現れていると思います。

内野 自分の手の届く範囲を愛着をもってつくっていくことはすごく大事です。僕の店では昨年、隣の物件が空いたので、そこを焙煎室に改装しました。6坪ほどの小さなスペースですが、ベンチを置いて、バス停に少し腰掛けるくらいの感覚でコーヒーを飲むことができますfig.21fig.22。そうやって、自分の身の丈に合ったかたちで、空間も事業も拡張していきたいと思っています。

清野 鎌倉ではコロナの影響で閉店してしまったお店も多くある中で、ビジネスとして着実に拡張していけているのは、生き方の哲学をお持ちだからなのでしょう。鎌倉・逗子・葉山では新しいライフスタイルが目立ち始めている一方で、近年はブランド化が進み、地元住民ではなく、観光客を目当てにした店舗も増えているように思います。本レクチャーシリーズの第1回で登壇した宮崎晃吉さんも、谷中で同じ悩みを抱えていました。地元にとっての魅力が増せば増すほどジェントリフィケーションが進み、かえって地元のための空間から乖離していくというのは、現代の病のようなものです。その問題に対する抜本的な解決法は今の所見当たりませんが、そんな中で、日髙さんや内野さんのような、オルタナティブな価値観を持った方が身体スケールで解像度の高いアクションを行っていることの意義は大きいと感じます。

空間に繋がるプロセスすべてに価値を見出す

清野 日高さんは2000年まで磯崎アトリエに勤められ、さまざまな大規模プロジェクトにも関わってこられていますが、それは現在日髙さんが取り組んでいるプロジェクトの対極にあるようにも感じます。

日髙 プロジェクトの規模の違いはあれど、やっていることの本質は変わりません。私はスクラップ&ビルドを繰り返す都市・社会への違和感を根底に、空間のあり方を模索し続けてきました。以前、UDCK柏の葉アーバンデザインセンターのディレクターを務めていた時、まちづくりのスタジオに参加した留学生から「日本の建物は、なぜ古くなることで価値がなくなっていくのか」ということをよく聞かれました。ヨーロッパでは、建物がもつ歴史と共にその価値も上がっていくのに対し、日本では空き家がごみ同然のように扱われる。僕も根底には同じ違和感をもっていましたが、その問いに対する明確な答えが見つかりませんでした。古くなることで価値を高めていくようなシステムに、そろそろシフトしていかなければ、いずれ社会は破綻してしまいます。
磯崎新さんはプロセス・プランニングという言い方で、その時ごとの意思決定によって移ろう空間のあり方に着目していましたが、私はそれと同じ意識で自分のプロジェクトに取り組んでいます。街は最初から完成形があるわけではないので、空間をつくるためのプロセスすべてが意味を持ちます。重要なのはプロジェクトの規模ではなく、プロジェクトの協力者を集め、常に理想的な空間のあり方を見つめ続けることだと思います。

清野 おふたりは、空間に繋がるプロセスを広くとらえつつ、そのディテールまでこだわり抜かれています。その建築家ならではの視野の広さと解像度の高さが、行動とビジョンに説得力をもたらすのだと感じました。そして、その視点はプロフェッショナルとして地域の上位に立つのではなく、プロジェクトの協力者と同じ位置にあり、互いのスキルをフラットに交換し合っている。それは現代の大規模開発型のまちづくりへのカウンターとして意義深いと思います。そのどちらがよいということではなく、両方が存在することで、都市にまつわる議論の呼び水となることが重要なのでしょう。

(2023年12月22日、新建築書店にて公開収録。/文責:新建築.ONLINE編集部)

日髙仁

1971年広島市生まれ/95年東京大学大学院工学部建築学科修了/磯崎新アトリエ勤務/2001年SLOWMEDIA設立/2012年「南町テラス」をオープン/現在、関東学院大学准教授

    内野陽平

    1987年兵庫県西宮市生まれ/2009年京都精華大学芸術学部建築学科卒業/2013年鎌倉市にコーヒースタンド「THE GOOD GOODIES」を開業

    清野由美

    1960年生まれ/1982年東京女子大学文理学部史学科卒業/2017年慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了、在学中英ケンブリッジ大学客員研究員/草思社、日経ホーム出版社(現・日経BP)勤務を経て92年からフリーランスジャーナリスト/現在、慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員、城西国際大学大学院非常勤講師

      日髙仁
      内野陽平
      清野由美
      続きを読む

      建築学科を卒業後、茅葺職人を経てケーキ職人となった立道嶺央さんのケーキ店「POMPONCAKES」(左)。鎌倉の路上での自作ケーキの行商(右)で人気を得て、今は自身が設計した店舗3店を運営している。/撮影:猪俣博史

      イタリア本場のジェラートに感化された夫妻が、江ノ電の線路脇に残る木造家屋を改修して開いた「GELATERIA SANTi」。日髙仁さんが設計を手がけた。/撮影:猪俣博史

      「南町テラス」外観。/撮影:猪俣博史

      「THE GOOD GOODIES」内観。/撮影:猪俣博史

      「Tower of Gravity/重力の塔」展示風景。/提供:日髙仁

      小坪地区の断面図。/提供:日髙仁

      小坪地区の配置。「南町テラス」が位置する集落は車が立ち入れない路地が張り巡らされている。/提供:日髙仁

      「南町テラス」周辺の路地。/提供:日髙仁

      「南町テラス」周辺の路地。/提供:日髙仁

      「南町テラス」模型写真。既存棟の半分を残して改修し、もう半分に新築棟を建て、間に路地を設けた。/提供:日髙仁

      「南町テラス」の路地を抜けた先には、海を見渡せるテラス席を設けている。/撮影:猪俣博史

      「南町テラス」のテラス席。/撮影:猪俣博史

      「南町テラス」2階の居住スペース。/提供:日髙仁

      「南町テラス」の路地からの見上げ。夏にはグリーンカーテンが生い茂る。/撮影:猪俣博史

      「南町テラス」の風呂。/提供:日髙仁

      テラスには強風を防ぐために雨戸を設置。無風の際は開いて庇とし、強風時は閉じることで風を上に逃す。/提供:日髙仁

      エントランスより既存改修棟を見る。1階はカフェ、2階は居住スペース。夜間は漏れ出した光が建物の輪郭を強調する。/提供:日髙仁

      「小坪・路地展」フライヤー。/提供:日髙仁

      DIYで制作したキッチンカー。/提供:日髙仁

      三浦市のレンタルサイクルを改造してつくった「チャリピク」。自作のピクニックセットを備えた自転車で三浦市内を巡ってもらうプロジェクト。/提供:日髙仁

      隣接する物件を改装してオープンした焙煎所。ベンチやテーブルを設け、バス停のようにくつろげる。/提供:内野陽平

      隣接する物件を改装してオープンした焙煎所。ベンチやテーブルを設け、バス停のようにくつろげる。/提供:内野陽平

      fig. 22

      fig. 1 (拡大)

      fig. 2