新規登録

この記事は下書きです。アクセスするログインしてください。

2023.07.07
Interview

雑誌/メディアからみる新たな都市のイメージのつくられ方

都市とエンターテインメント #4

玉置泰紀(角川アスキー総合研究所/エリアLOVE Walker総編集長)×吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)

エンターテインメントからこれからの都市のあり方を模索する連載。第4回は雑誌に着目。インターネットの普及以前、雑誌はテレビと共に大きな影響力をもってきました。その制作に携わる編集者は、雑誌を通して都市へどのような意識をもってきたのか。『関西ウォーカー』をはじめ、Walkerシリーズ4誌の編集長、ウェブを含めた同シリーズ全体の総編集長などを務めてきた角川アスキー総合研究所、エリアLOVE Walker総編集長の玉置泰紀さんに伺いました。(編)

主体的/啓蒙的につくり上げられる都市のイメージ

吉村 本連載ではこれまで、都市を感性的にとらえ、デザインする方法へのヒントを求める中で、エンターテインメントがいかに都市のイメージをつくり上げてきたかということに着目してきました。中でも雑誌、特に『東京Walker』fig.1をはじめとする、都市のあらゆる情報をまとめたWalkerシリーズは、読者の都市に対するイメージを形成するのに大きく寄与してきたのではないかと思います。僕自身も名古屋市出身で、高校時代には『東海ウォーカー』をよく読み、それをもとに都市を歩き、楽しんできた経験があります。今回はWalkerシリーズの編集に長く携わり、現在はマルチメディア「エリアLOVE Walker」の総編集長を務める玉置泰紀さんに、雑誌編集者として都市へどう意識をもたれてきたかを伺いたいと思います。まず、Walkerシリーズ立ち上げの背景を教えていただけますか。

玉置 Walkerシリーズは、1990年3月に創刊した『週刊トウキョー・ウォーカー・ジパング』(角川書店)から始まりました。当時世界の大都市では、たとえばロンドンの『Time Out』(Time Out Group)、ニューヨークの『The New Yorker』(Condé Nast Publications)など、その都市を象徴するような都市情報誌があり、東京でもそういうメディアをつくろうとしたのです。はじめは海外の雑誌を意識していたので、レイアウトは左開き、文字も横組みでつくっていましたが、それが読者にまったく受け入れられなかったため、同年10月に右開き・縦組みに変え、『週刊東京ウォーカー』(角川書店)としてリニューアルしました。そこから売り上げは順調に伸び、最盛期には週約60万部が売れていました。

吉村 創刊時はどういうコンセプトだったのですか。

玉置 『東京ウォーカー』でやろうとしていたことは、テレビの情報をまとめる『ザテレビジョン』(角川書店)、コンサートなどのエンタメ情報を網羅する『ぴあ』(ぴあ)、旬の店や街を紹介し、Hanako族と呼ばれるムーブメントを生み出すほど一世を風靡した『Hanako』(マガジンハウス)のいいとこ取りです。これらの3誌は、都市で生活をするための最も核心的な情報を手軽に手に入れられるメディアでした。テレビ、エンタメ、カルチャー、街のグルメ情報が分かれば、大体の人は都市で楽しく生きていけるのではないかという仮説を立てたのですが、当時はそういう横断的な雑誌がありませんでした。

吉村 おっしゃる通り、当時はテレビや雑誌以外に情報に触れられる機会が少なく、エンタメとグルメの情報があれば、十分楽しく生きられていた気がします。

玉置 当時の角川書店はテレビを重要視していて、『ザテレビジョン』をはじめ、テレビの周辺にある情報を続々とメディア化したという流れがありました。

吉村 Walkerシリーズは1990年代、テレビを軸にライフスタイルを再編するために活用された側面があり、テレビが大きな影響力をもっていた時代だったからこそ広く受け入れられてきたということですね。今は当時よりもメディアが多様化していますが、その流れの中で、Walkerシリーズの編集方針に変化はあったのでしょうか。

玉置 僕はWalkerシリーズの編集方針を「水のような編集」と表しています。たとえば『POPEYE』(マガジンハウス)のようなライフスタイル誌、ファッション誌はあるお洒落なスタイルを編集者の視点から読者に啓蒙するという側面があります。Walkerシリーズはそのアンチテーゼとして、世の中にある生活情報を分かりやすく整理して提示する、つまり情報を使う側の目線に立った編集を行っています。読者のターゲット層も具体的に絞るのではなく、最大公約数的なペルソナを想定して都市生活に必要な情報を網羅し、「〜でいちばんの」などと過剰な煽り文句で色をつけることも極力避けています。編集側から情報を一方的に伝えるのではなく、読者が主体的に情報を活用できるような誌面を一貫して目指してきました。

吉村 これまではファッション誌などが、ある種”啓蒙的”に都市のイメージをつくり上げてきており、Walkerシリーズもその流れの中で大きな役割を担ってきたのだと認識していたのですが、編集側としてはそのまったく逆の姿勢をとられてきたということに驚きました。読者が情報を受け取るだけではなく、主体的に情報を活用して自らのスタイルやイメージを築き上げるという方向性だったのですね。

生活様式の変化に連動する都市情報への需要

玉置 先ほどの説明ではドライに、地域への愛がないように聞こえるかもしれませんが、決してそういうわけではなく、人の生活に本当に必要な情報を提供することを大きな方針としていたのです。僕個人として、世の中の人はそう思っていなかったかもしれませんが、この編集方針は『Whole Earth Cataloge』に並ぶ革命だったと思っています。Walkerシリーズでは、店やイベントの情報を本文、住所、電話番号などのデータと共に小さなマップを付け、ボックスのフォーマットとして掲載していますfig.2。この情報の見せ方は後に多くの雑誌に影響を与えました。そして、現在最もこのフォーマットに影響を受けているのは何かというと、インターネットです。

吉村 なるほど、とてもしっくりきます。都市情報を地図と合わせて見せるというフォーマットは今では当たり前のこととしてとらえているのですが、Walkerシリーズがその原型となっていたとは思ってもいませんでしたし、おそらく世間的にも広く知られていないのではないでしょうか。そこにiモードやスマホが出てきたことで、ネットの方が紙媒体であるWalkerシリーズのフォーマットを真似るという現象が起きたということなのだろうと思います。そもそも「歩く人(Walker)」というタイトルとコンセプトを付けられている時点で、そのフォーマットが現在のスマホで情報を検索しながら街を楽しむという生活様式に着地することは運命付けられていた気さえします。Walkerシリーズでは当初からインターネット的な情報の整理をしていたために、ネットを用いた新しい体制へとスムーズに移行できたということでしょうか。

玉置 移行自体は違和感なく進みましたが、Walkerシリーズがある種独占的にやってきたことがどんどんネットに置き換わっていったので、商業的にいえば非常に苦労しました。

吉村 インターネットの普及はやはり雑誌の売り上げにも影響したのでしょうか。

玉置 歴史の話をすると、日本で最初の都市情報誌は、1971年創刊の『プレイガイドジャーナル』(プレイガイドジャーナル社、学生援護会関西本社)、通称プガジャと呼ばれるものです。翌年には『ぴあ』が創刊するのですが、1970〜80年代は都市情報誌が世の中を席巻するという状況ではありませんでした。これは僕の個人的な考えですが、1980年代はまさにバブルの時代で、ここでお得に遊べる、綺麗な景色があるといった、ちまちました都市情報は必要とされていなかったと思うのです。ところが1990年代になり不況を迎えると、そのちまちまとした都市情報が読者にとって違う意味を帯びてきます。以前ほど贅沢に遊ぶことができなくなった中で、どう都市生活を楽しむかということがより切実に考えられるようになり、都市情報誌への需要が高まりました。しかしその後、iモードの普及からスマホの登場を経て、情報のプラットフォームが雑誌からインターネットへ加速度的に移行していき、雑誌の需要が減っていった。なので、都市情報誌の黄金時代は1990〜2000年代前半と意外にも短く、その期間に密に編集に携われたのはラッキーでした。

吉村 僕は1990年代に中学高校時代を過ごし、その黄金時代を肌で感じてきたので、今になって雑誌と都市のイメージの関係に興味を掻き立てられているのだと思います。
また、僕は2001〜2019年まで海外で暮らしていたのですが、はじめの頃は情報収集のため、夏休みなどで日本に帰国するたびに、たとえば『地球の歩き方』などをまとめ買いしてトランクへ詰め込むということを繰り返していました。それが2000年代中盤ぐらいから個人ブログが流行り始め、僕自身も「地中海ブログ」というのをやっていたのですが、そうすると現地に住んでいる人達が「現地の人しか知らない穴場レストラン〜」というように超ローカル情報を次々と発信し始め、紙媒体の各国ガイドが必要なくなりました。
情報収集という意味では、同じ頃にYoutubeが登場したことも大きかったと思います。これまではテレビでたまにしか見ることができなかった昔の映像などを何十年振りかに見られたことに鳥肌がたち、新しい時代に突入したことを全身で感じました。日本から遠く離れた海外で暮らしていたからこそ、テクノロジーの進展による文化への影響をより一層強く感じたのかもしれません。

地域から自発的に立ち上がる都市のイメージへ

玉置 余談ですが、YouTubeの日本語版がリリースされる以前、「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」などのアニメコンテンツが大量に違法にアップロードされたことで、角川グループは多大な権利侵害を受けていました。ただ、違法コンテンツがそこまで広がってしまっているなら、逆にそれを利用できないかと、悪質な事例には削除を求めつつ、作品を広めるのに有効と判断できるものについては認めていくという方針を打ち出し、角川グループはGoogleとアライアンスを結んだ初めてのメディア企業になりました。

吉村 Youtubeもそうですが、僕的にはニコニコ動画のコメントが右から左へ流れていく風景も強く印象に残っています。その形式が「涼宮ハルヒの憂鬱」などが含むオタク的な特有のノリと親和したことが、ニコニコ動画の初期の成功を支えたのではないかと思っています。

玉置 そういうメディアの多様化、生活様式の変化と共に、雑誌の発行部数も目に見えて減っていき、コロナ禍によって都市情報の需要がさらに減ったことで『東京ウォーカー』は2020年に休刊しました。ただ、デジタルに市場を侵食された一方で、デジタルに救われた部分もあります。その要因は何かというと、SNSです。Twitterが日本で普及し始めた2010年前後、メディアはGoogleやYouTubeなどと同様に、SNSを市場を奪うものとして敵対視していました。ただ、民主的な情報メディアをつくろうとしてきた僕にとって、Twitterはまさにそれを実現するための最高のツールのように思われました。そこで、2010年代には雑誌の各ページに担当編集者のTwitterアカウントを掲載して誌面への意見を集めたり、Ustreamを使って「関西ウォーカーTV」という番組を立ち上げるなど、紙媒体の運営にSNSを取り込みました。そういう動きを積極的に取り入れようとしてきたことで、コロナ禍を経た今もマルチメディアとして生き残れているのだと思います。

吉村 現在運営されている「エリアLOVE Walker」では何を実現されようとしているのですか。

玉置 「エリアLOVE Waker」は、Walkerシリーズの出版を通して培ってきた編集のノウハウと角川のプラットフォームを活用し、メディアを必要とする地域にリソースを提供する仕組みで、地域の企業や人と共に編集を手がけるコンシューマー・ジェネレイテッド・メディア(CGM)です。これまでは市場調査に基づき、需要がある場所に対して雑誌を発行してきましたが、「エリアLOVE Walker」は、情報を発信したい地域に対してそのための場を提供するものです。今はブログやSNSなど、個人で発信する方法はありますが、マスに発信するメディアを運営するというのは一朝一夕にはいきません。その第1号が2021年に立ち上げた「西新宿LOVE Walker」です。西新宿はかつて先端的な高層ビル街として注目を集めていましたが、今はネガティブな文脈で捉えられることもあります。ただ、そこには西新宿を何とかしたいと思い、新しい街づくりの方針を模索する人が多くいます。そこに「エリアLOVE Walker」の構想を持ち込み、地域に拠点を構える企業などと共に編集をスタートしました。これまでの雑誌の売り上げや、広告収入によってマネタイズするというスタイルから、地域の支援を受けながら情報インフラを運営するという仕事にシフトしています。

吉村 魅力的なお話です。テクノロジーの進化に伴って、情報の源泉のあり方にも迫っているのですね。本連載の以前の対談では、YouTubeやTiktokからボトムアップ的にミュージシャンが発見されたり、都市という場所性に縛られないかたちで地方においてファッションのイノベーションが起きていたりと、デジタルテクノロジーの進化によってさまざまなコンテンツが民主化する流れが起きていることを確認しました。「エリアLOVE Walker」もその流れの中にあるのですね。1980〜2000年代は、テレビや雑誌などが大きな影響力をもっていて、おしゃれなライフスタイルやファッションなど、強烈なイメージを打ち出し、都市にもあるイメージをもたらしてきた。だけど、SNSの登場によって、そのイメージが拡散、均質化した。そんな状況だからこそ、地域の人びとから、その地域の情報を大きく発信したいというニーズが生まれてきたのでしょう。そこにテクノロジーの進化が伴い、地域の声が大きな塊となり、ボトムアップ的に、自発的に新たな都市のイメージをつくり上げる可能性が出てきているのだと理解しました。

玉置 僕は雑誌が好きで、『POPEYE』や『BRUTUS』をよく読んできました。ただ、そういう高度なカルチャーがあれば、当然それに対するアンチテーゼもあって然るべきだと思ってWalkerシリーズの編集に臨んできました。そこでやろうとしていた情報の民主化が、デジタル時代になって結実したという気がしています。アンチテーゼというのは否定ではなく、別の可能性を示すことです。異なるもの同士が存在することでまた新たな可能性が生まれます。いずれ「エリアLove Walker」へのアンチテーゼが生まれることで、都市のイメージのつくられ方もまた変容していくのだと思います。

(2023年6月19日、オンラインにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

玉置泰紀

1961年大阪府生まれ/1986年同志社大学文学部卒業/産経新聞大阪本社(大阪府警本部捜査一課担当など社会部で記者として活動)、福武書店(現ベネッセ。月刊女性誌『カルディエ』の編集。「たまひよ」の準備まで在籍)を経てKADOKAWAグループ/入社後は、『関西ウォーカー』をはじめ、Walkerシリーズ4誌編集長、ウォーカー総編集長などを経て現在、角川アスキー総合研究所・戦略推進室、エリアLOVEウォーカー総編集長、国際大学GLOCOM客員研究員、一般社団法人メタ観光推進機構理事、京都市埋蔵文化財研究所理事、大阪府日本万国博覧会記念公園運営審議会会長代行、東京文化資源会議幹事、国際文化都市整備機構理事、流通科学大学特別講師

吉村有司

愛知県生まれ/2001年〜渡西/ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了/バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年〜東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザー

玉置泰紀
吉村有司
エンターテインメント
都市
都市とエンターテインメント
雑誌
続きを読む

左:『週刊東京ウォーカー』(2000年10月10日号)。右:『東京ウォーカー』(2004年12月7日号)。/撮影:新建築.ONLINE編集部

『東京ウォーカー』(2004年12月7日号)より。飲食店の情報をテキスト、住所、電話番号と共にマップを合わせた『東京ウォーカー』のレイアウト。/撮影:新建築.ONLINE編集部

左は玉置泰紀氏。右は吉村有司。

fig. 3

fig. 1 (拡大)

fig. 2