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2023.06.02
Interview

ファッションがつくり上げる都市のイメージ

都市とエンターテインメント #3

高野公三子(パルコ/ACROSS編集室)×吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)

エンターテインメントからこれからの都市のあり方を模索する連載。第3回はファッションに着目。これまでファッションは大きなブームと共に都市のイメージ形成に寄与してきましたが、今はそのイメージが拡散しています。ファッションブームはどのように伝播するのか、都市はブームの発生にどう関わるのか、ファッションは再び都市のイメージをつくり上げるのか。吉村有司さんと、渋谷を中心に長年若者のファッションを観測してきた「WEB ACROSS」編集委員の高野公三子さんに語っていただきました。(編)

ブームはどのように伝播するか

吉村 ACROSS編集室は長年、渋谷を中心とした定点観測によって、東京のファッションの変化を記録してきました。僕はデータサイエンティストとして、その活動にすごく興味をもっています。まずは、ACROSS編集室の活動の概要を、立ち上げた背景と共に教えていただけますか。

高野 定点観測は今和次郎が提唱した考現学を現代的に応用しています。毎月第1土曜日に渋谷、原宿、新宿の3地点同時に路上観測を行い、男性通行人、女性通行人、女性のスカート着用率、さらに事前にプレサーベイで定めたその時流行しているアイテムやスタイルなどの着用率をカウントし、合計約600カットのスナップ撮影と約30名のインタビューを行っていますfig.1。ACROSSは、1974年にパルコのテナントオーナー向けの媒体だった「パルコレポート」がルーツとなっています。全テナントの売上数字の分析や専門店経営者のインタビュー、当時のパルコの社長でファウンダーの増田通二といろいろな人との対談などが掲載されており、時代の気になる事象などを盛り込んだマーケティングレポートという位置付けでした。その後、もう少し社会に開かれたメディアにしようと、「時代を超えて〜」という意味を込めて、月刊『ACROSS』として創刊されたのが1977年です。しかし、売上のデータはあくまで過去の結果です。マーケティングの大事なテーマのひとつである「少し先を読む」ためには、街に集まる若者たち=路上のミクロな変化を観察しようと、1980年から定点観測が始まりました。1998年に紙媒体は休刊になりましたが、2000年10月にウェブマガジンへとメディウムを変えました。定点観測は以来43年間続き、この5月で506回目を迎えました。

吉村 北田暁大さんは『広告都市・東京──その誕生と死』(廣済堂出版、2002年)の中で、パルコに言及されています。パルコをつくると同時に、そこを行き交う人びとの姿もウィンドウ化し、ファッションや音楽など、すべてを含めて一帯のイメージをつくり上げたという指摘がなされた秀逸な書籍です。僕はその文脈の上で、そもそも都市のイメージとは何かという大きな問いをもっています。1980〜90年代は「渋谷系」や「渋カジ」fig.2など、土地と結びついた音楽やファッションのブームと共に、「渋谷」という大きなイメージが形成されてきましたが、今はそれが拡散してしまっているように思います。ファッションのブームはどう発生し、どう広がっていくのでしょうか?

高野 私たちの定点観測は、事前にプレサーベイを行い、観察すべきテーマを決めています。渋谷に限らず、話題になっている場所やお店、イベントなどにも足を運び、流行の兆しを仮定して観測に臨みます。そこが一般的にいうおしゃれスナップとの違いです。単に路上観察をしているとどうしても目立つ人に目が向いてしまいますが、ある仮説をもって観測することで、スクリーニングが促されます。それを毎月繰り返すことで、最初に発見した流行の兆しが、たとえば翌月は増幅し、その後減少していくという、ある種の塊の変化が見えてきます。

吉村 なるほど。ファッションブームは雑誌などのメディアによって生み出されてきたものと思っていたのですが、必ずしもそれだけではなく、街で少しずつ伝播してきたものがメディアによって拾い上げられて広がってきたという側面もあるわけですね。

高野 ブームの発生には、メディア以外にもさまざまな要因があります。ファッションの産業構造にまで遡った話にはなりますが、たとえば色については、日本流行色協会という、2年後のカラートレンドを提案する団体があります。流通や小売業界、バイヤーやディレクターなどさまざまな方が専門委員を務めており、私もそのうちのひとりです。時代・社会の価値観の変化などから流行を予測し、カラーパレットへと変換し、世界各地の専門家で議論されています。
一方、ファッションは時代・社会を表象するものです。東日本大震災の時のエピソードをよくお話しするのですが、震災の直前はカラフルなファッションが流行していましたが、震災の翌日以降の東京のファッションは黒いトップスにデニム、黒いタイツ、リュックにスニーカーという装いに一転しました。その後、2014年9月の定点観測では「男女モノトーンコーディネート」というテーマを取り上げたように、いわゆる「ノームコア」と呼ばれるシンプルなスタイルのブームへと繋がっていきました。このノームコアの動きにはさまざまな要因が指摘されていますが、日本では震災の影響が大きかったのではないかと思います。当時、東京ではたくさんの帰宅困難者が出たことも、衣服の機能性が重視される一因になったと考察しています。
鷲田清一さんが、身体=自らのもつ身体的イメージである、つまり、身体イメージの形成に深く関わるファッションこそ第一の衣服であり、人間の皮膚は第二の衣服であると指摘するように参照:鷲田清一著『モードの迷宮』(中央公論社、1989年)、ともすると軽んじられてしまいがちなファッションを、実はもっとも身近な情報源と捉え、街を行き交う人びとを観察すれば、時代・社会との相関が見えてきます。

ファッションブームと都市構造

吉村 近年渋谷では高層ビルや大規模商業施設の建設が相次いでいます。こうした都市構造の変化がファッションの特性と結びつくことはあるのでしょうか?

高野 1990年代後半に流行した「裏原系」fig.3は、ストリートカルチャーに根差した「NEIGHBORHOOD」や「SOPH.」などのブランドが代表的ですが、その多くが原宿の表通りではなく、裏通りに路面店を構えました。裏というニュアンスがカウンター・カルチャー的な雰囲気とマッチし、土地の特性と共に全国に広がっていきました。また、1990年〜2000年代初頭にかけて、地方都市でもパルコをはじめとする商業施設や大手セレクトショップが出店していったのと同時に、裏原的なショップが集積するエリアも現れ始めました。こうして商業施設やショップと共に、ファッションも全国に広がっていきました。

吉村 「表」としてパルコのような商業施設があり、その「裏」として小さなセレクトショップや路面店があるという形式がセットになって地方都市に輸出されていったと。

高野 2011年にご縁があり、鹿児島で延べ1カ月ほどかけてフィールドリサーチを行ったのですが、当時、地方都市の多くでは、旧市街地とは別に主要な駅に隣接する商業施設がどんどんオープンし、新しい商業エリアとして発展していました。その一方で、郊外では大型のショッピングモールが賑わい、やや落ち着いた旧市街地に裏原的なショップやカフェなどがポツポツとオープンし、ゆるりとした独特の雰囲気が形成されていました。その構造は、実は渋谷や原宿のありようとも類似しています。

吉村 僕の地元の名古屋でも、パルコがある繁華街の周辺に小さな店が散在していました。都市構造というハードと共にファッションが伝播したというのは、興味深い指摘です。

──たとえば大阪は今でも柄物の文化が根付いているという印象があり、地方によってファッションにも特徴があるのではないかと思います。逆に、これまで地方から全国に広がったブームはあったのでしょうか。

高野 東京と同じ観察テーマで地方都市でも定点観測を行ったことがありますが、着こなし方やメイクなどが異なるということはありました。また、1994年3月に「ソフトパンク」というテーマで実施した時は、大阪地点の方が、東京よりも色やデザインが奇抜な主張あるファッションが散見され、インタビューも面白かったです。当時、アメリカ村の三角公園が若者が集まるスポットになっていて、古着店や独特のセレクトショップも多数あり、その後、東京に進出したという事例もあります。

ファッションとメディア

吉村 僕はブームの伝播とメディアの関係に興味をもっているのですが、1990年代までは今のようにネット環境が十分になく、情報源が雑誌やテレビしかない時代でした。今はスマホを通じてあらゆる情報が得られ、個人でも情報を発信できるようになっています。こうしたデジタルテクノロジーの進化によって、ファッションの流行に何か変化はありましたか?

高野 定点観測のインタビューでは毎月、当日着用している衣服について訪ねているほか、普段どんな雑誌を読むかを問い続けてきました。1980年代は『non-no』(集英社)や『anan』(マガジンハウス)、1990年代は『CUTiE』(宝島社)や『Olive』(マガジンハウス)、『zipper』(祥伝社)、『Vivi』(講談社)などが人気で、2000年代になると『PS』(小学館)や『mini』(宝島社)、『FRUiTS』(ストリート)、そして赤文字と青文字が程よく混ざった『sweet』(宝島社)の大ヒットなど、雑誌が大きな影響力をもってきました。ただ、2010年代に入ってからは雑誌を読む人が減少し、代わりにスナップサイトを運営するブロガーのファッションを参考にする人が増え、SNSの時代になり自撮りへと変化していきました。今は、画像を流し見する人が多く、インタビューでも特定の個人名が挙がることが少なくなり、自分が何の影響を受けているのかの認識しづらくなっています。

吉村 前回の音楽をテーマとしたスージー鈴木さんとの対談では、SNSの普及によって民主的なプロセスから音楽がヒットするようになったという話が出たのですが、ファッションにおいても同じような動きはあるのでしょうか?

高野 2010年以降、地方に拠点を設け、ネットで服を売る人が増えました。それこそ、古着をネットで仕入れてネットで売るという人もいますし、自分でブランドをやっている人もいて、つくり方もさまざまです。ときどき地方の独立オーナー系のセレクトショップなどでポップアップを開いたり、展示会も年に1度しか開かなかったりと、従来のファッション産業のフォーマットとは違うかたちでビジネスを展開するブランドも増えています。これは大量生産大量消費のファストファッションに対するスモールサークルのビジネスとして、スローファッションと呼んでいます。

吉村 スローという言葉は最近よく耳にします。イタリアで発祥したスローフード(食に関する社会運動)や、最近ではとある会議でスローカブルという言葉を聞きました。街路を歩行者中心に再編していくのと同時に、スピードの遅いモビリティを歩行者と共存させる(ウォーカブル+スロー)という方向性です。今は技術が発展し、どんどん便利になる一方で、文化が消費されるスピードも上がっているという危惧があります。その中で、従来の移動や消費などさまざまなスピードが見直されていますが、ファッションにおいてもその傾向があるのですね。

高野 生成系AIの実装も進む今だからこそ、もう一度人間的な感覚を取り戻すという動きは何においても重要な気がします。

吉村 都市においてもファッションにおいても、ますます人の手触り感や感性が大事になってくるということだと思います。生成系AIが生み出すものは、いわば世界の真実に似せたフィクションです。今後は真偽を見分ける力が必要になる。そういう意味では、テクノロジーが進めば進むほど、人文系の力、感性みたいなものこそが大切になってくる世の中になるのではと思っています。

ファッションは再び都市のイメージをつくり上げるか

高野 以前は場所のイメージなどからファッションブームが生まれてきましたが、今はSNSによってそれがネットにまで広がり、トランスローカリティの浸透と共に、ファッションのコモディティ化も進んでいます。トレンドの幅自体が小さくなり、変わっているようであまり変わっていない。昨今のメディア環境が人びとのファッションへ及ぼしている影響の負の側面だと思います。

──メディアが多様化した今、かつて「裏原系」が原宿にストリート文化を醸成したように、ファッションが都市のイメージをつくりあげることは難しくなっているのでしょうか。

高野 そうですね。メディアに限らず、最近はどこも似たような都市開発が行われている気がしています。その土地特有のコンテクストがなければ特有のファッションやカルチャーのブームも生まれにくいように思います。

吉村 そもそもわれわれは都市に何を求めてきたのかというと、それは血縁や地縁から解放されて自由に羽ばたける場所だと思っています。かつてはそうして多様な人や財が集まってきたからこそ、サービスも発展し、集積することでしか成し得ないことが生まれていた。ただ、今イノベーションは都市というよりも地方で起こっていて、ある意味では都市に集まることの意義がなかなか見出せない時代だとも感じています。よくいわれることですが、都市自体もモール化していて、東京でも地方でも同じような、駅前集積型の開発が行われている。

高野 見方によっては、モール化した都市ならではのファッションも生まれているのかもしれません。先日東京都庭園美術館で行われた「プラダモード」というイベントに参加して感じたことがあります。庭園に西沢立衛さんによる木造の仮設パビリオンが設置され、妹島和世さんによるアートの展示や、音楽の演奏などが行われました。皆それぞれが緩やかに着飾っていて、昨今の都市や建築、商業施設などに求められている可変的な空間や余白といった文化的意義がファッションとも影響し合うのだと実感しました。

吉村 僕は、定点観測の記録をまとめた書籍『ストリートファッション1980-2020 定点観測の40年の記録』(PARCO出版、2021年)fig.4fig.5の最後で、スペインの地理学者であり政治家でもあるジョルディ・ボージャの「都市とは通りに集う人そのものだ」という言葉を引用されていることに感銘を受けました。ボージャは長らくバルセロナ市役所で副市長を勤めた人物です。バルセロナが、のちにハーバード大学やRIBAから都市デザイン賞を授与される一連の公共空間政策や1992年のオリンピックなど正に世界に羽ばたいていく時に市長だったパスカル・マラガルの右腕でした。彼のバックグラウンドは地理学なのですが、フランコ政権時代に情報社会学の世界的権威であるマニュエル・カステルと共にパリに亡命しています。カステルはパリ大学で社会学の博士号を取得して数年間パリ・ナンテール大学で教鞭をとったのちアメリカへ渡り、カリフォルニア大学バークレー校にて情報社会学の理論を突き詰めます。一方でボージャはバルセロナへ帰り、カステルの打ち立てた理論を都市に実装しながら壮大な都市実験をしていくのです。バルセロナのスマートシティ戦略の裏側には、カステルの都市理論とボージャによる都市実装という二人三脚の体制、アカデミックと実践の幸福な結婚がありました。現在に至るまでバルセロナの都市再生の取り組みがテクノロジードリブンに陥らなかったのは、公共空間論などを基礎から修めたボージャのような地理学者が社会実装をしていたことが非常に大きいと思っており、そこには常に「街路に集まる人びとの姿」が想像されていたのだと思います。

高野 本の執筆中に大規模再開発で大きく変化する渋谷の街を見てきて、都市はディベロッパーや地主だけのものではないのにな、という思いが膨らみました。都市として発展するのはいいのですが、そこに使う人が不在な気がして、どこか違和感をもってきました。

吉村 都市計画やまちづくりの究極的な目的はそこに住む人たちのウェルビーイングを高めることだったはずなのですが、スマートシティといった途端に最新のテクノロジーを活用した大規模再開発など、住民不在の話に陥りがちです。特に最近では生成系AIに見られるように、技術進展のサイクルがどんどん早くなってきていて、よく分からないけどデジタルテクノロジーを使うと面白いことが出来そうだという雰囲気だけが先行している気がしてなりません。しかし、そんな状況だからこそ、われわれはなぜ都市をつくるのか、なぜ集まって住むのかといった根源的な問い掛けを続ける必要性があると思っています。そう考えると今回のテーマであるファッションと、それがつくり出す都市のイメージを考察することは、テクノロジー・ドリブンに陥りがちな今だからこそ、もう一度原点に立ち返って語られるべきテーマなのだと思います。
fig.6

(2023年5月17日、パルコ本部にて。文責:新建築.ONLINE編集部)

高野公三子

1992年パルコ入社/2000年ファッション&カルチャーのシンクタンク部門のメディア「WEB ACROSS」創刊/現在「WEB ACROSS」編集委員、日本流行色協会トレンドカラー選考委員、昭和女子大学、文化学園大学講師、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程在学中/主な著書に『ファッションは語りはじめた~現代日本のファッション批評』(共著、フィルムアート社、2011年)、『ジャパニーズデザイナー』(共著、ダイヤモンド社、1999年)、『ストリートファッション1980–2020 定点観測40年の記録』(PARCO出版、2021年)など

吉村有司

愛知県生まれ/2001年〜渡西/ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了/バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年〜東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザー

高野公三子
吉村有司
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渋谷パルコ前での定点観測の様子。/提供:ACROSS編集室

「渋カジ」

渋谷カジュアル」の略称。1990年前後にブームとなったファッションブームで、特にセンター街を拠点に遊ぶ若者たちのファッションを指す。シンプルで飽きのこない定番アイテムを品よく着こなすのが特徴。/提供:ACROSS編集室

「裏原系」

裏原宿に出店した路面店やセレクトショップが契機となり、1990年代後期にブームとなったファッション。やや大きめのロゴTシャツにジーンズやミリタリーアイテムを合わせるスタイルが目立った。/提供:ACROSS編集室

『ストリートファッション1980-2020 定点観測の40年の記録』(PARCO出版、2021年)/撮影:新建築.ONLINE編集部

『ストリートファッション1980-2020 定点観測の40年の記録』(PARCO出版、2021年)/撮影:新建築.ONLINE編集部

右は高野公三子氏。左は吉村有司氏。

fig. 6

fig. 1 (拡大)

fig. 2