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2022.11.15
Essay

現場から暮らしへ、暮らしから現場へ

建築学生11年目が小豆島の現場で暮らしてみた #10

大須賀嵩幸(砂木/京都大学平田研究室博士後期課程)

こんにちは、小豆島ハウスの大須賀です。瀬戸内国際芸術祭2022が終わり、小豆島ハウスには夏・秋会期合わせて4,750人にご来場いただきました。このブログも今回で最終回となります。
およそ11カ月の滞在は、設計者のひとりである僕が現場で暮らすことで、でき上がる場がどう変わるのかを考えながらの生活でした。これまでの体験を振り返り、現場暮らしの中で見えてきたことを書いてみたいと思います。

島暮らしの序盤は、「現場の中にある暮らし」を見つけていく時期で、小豆島に来てブログを始めるまでの数カ月間はあまり出歩かず、現場に籠って仕事に追われる生活でしたfig.1。転機となったのは、「地ビール的建築?」で取り上げたまめまめびーるのきまぐれびーる屋台との出会いです。その時はトイレもキッチンもなく、ブルーシートがかけられた現場という、半ば壊れたような環境に住んでいましたが、誰かと出会うことで暮らしが豊かになっていき、本当の意味での島暮らしが始まった気がしましたfig.2。暮らしは自ら行動しないと何も変わらないので、もっと早く外に出れば良かったです。

既存の解体が進んで工事も佳境に入ると、建具や鉄骨などの新たな要素が付け加えられていきましたfig.3fig.4fig.5。建築がまさにでき上がっていく高揚感、エネルギーの高まりが現場の醍醐味です。芸術祭の開幕が迫る中、僕はこっそり「現場が終わらないでほしいな」と思っていました。

工事がひと段落した頃には島での生活にも慣れ、工事現場に住むという意味での現場暮らしは終わったといえます。それでも、日々芸術祭で小豆島ハウスを訪れる人たちと話し、小豆島ハウス内外でのイベントや祭りにも参加していくあの暮らしには、現場のような躍動感や変化がありましたfig.6。今振り返ると僕は、施工中に感じた現場性を、暮らしの中にも探し求めていたのだと思います。

こうした体験から、現場で暮らすことによる建築のつくり方が見えてきました。
現場という、まだ完成していない環境に身を置きながらも、暮らしを先行させて人との関わりを増やしていき、それが場を豊かにするきっかけになる。そしていつか、現場は終わり、暮らしの場になるけれど、今度は自分が現場性を場所に持ち込んで、変化を生み出していく。この現場と暮らしを往復するダイナミズムこそが、生きた建築や場所を持続させる鍵になるのではないでしょうか。

どうなるか分からず飛び込んでいった現場暮らしでしたが、もっと深めて実践したいテーマを得ることができました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。また次の現場でお会いしましょう!

大須賀嵩幸

1994年生まれ/2012年〜京都大学/2016年〜京都大学平田晃久研究室で「新建築社 北大路ハウス」の設計に参加/2018年〜京都大学平田研究室博士後期課程/「新建築社 北大路ハウス」に2018年〜入居、2020年〜管理人/2021年〜砂木

    大須賀嵩幸
    アート
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    パブリックスペース
    建築学生11年目が小豆島の現場で暮らしてみた
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    現場に籠っていた時期。既存の応接室でひとりリモートワークに勤しむ。/提供:大須賀嵩幸

    まめまめびーるのきまぐれびーる屋台。この日は常連さんでしっぽりと。いつの間にか、来るたびに元気をもらえる場所になっていた。/提供:大須賀嵩幸

    解体が進む小豆島ハウスの様子。床の仕上げが剥がされ、土台を跨いで歩く。奥には解体されたトイレの跡(タイル部分)が見える。/提供:大須賀嵩幸

    解体が進む小豆島ハウスの様子。開口部は建具が入るまでの間、ブルーシートで仮設的に閉じられていた。/提供:大須賀嵩幸

    解体工事が終わり、吹抜けに仕上げのガルバリウム鋼板や新設のブリッジ、階段が取り付けられた様子。/提供:大須賀嵩幸

    瀬戸内国際芸術祭会期中の小豆島ハウスの様子。毎日100人前後が来館した。/提供:大須賀嵩幸

    fig. 6

    fig. 1 (拡大)

    fig. 2