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2022.11.29
Essay

CGに潜む「軽さ」

デジタル世界に身体感覚は宿るか

山田貴仁(スタジオ・アネッタイ)

ここベトナムはホーチミンで、私たちスタジオ・アネッタイは、主に図面とCGを用いて設計業務を進めている。模型で空間を検討し設計を進めることの多い日本とは対照的に、この国の多くの設計事務所ではCGを多用する傾向があり、極端なことに、私たちのオフィス内には(今のところ)ひとつも建築模型がないfig.1。スタジオ・アネッタイは3Dソフトウェア、CAD、VRなどさまざまなデジタルツールを用いて設計事務所を運営しつつ、それをきっかけとした建築・内装パースの制作スタジオとしての一面ももつ。現在の仕事の割合は設計とパース制作で半々といったところだ。
このような事務所の体制上、設計とCGの親和性とその有用性を日々声高に発信する一方で、「果たして、このまま建築模型を捨ててよいのだろうか?」という疑念が拭えずにいる。2000年代以降の日本で、あれほど模型を中心とする設計教育を受けたのだから。本エッセイでは、模型とCG、どちらか一方に優劣をつけてやり方や価値観を押しつけたいわけではない。模型がなぜ私たちにとってこれほど捨てがたいのか、またそれに代わる設計言語としてのCGの可能性を、今一度この場を借りて考えたい。

コミュニケーションツールとしてのCG

本題に入る前に、ベトナムでCGによる設計が隆盛する背景を簡単に紹介したい。
ひとつ目に、まず建築教育の内容が挙げられるだろう。ベトナムの教育現場では、設計内容を考える、いわゆるデザインの授業と同時に、CADや3D、BIMソフトウェアの授業に多くの時間が割り当てられているのだそうだ。つまり建築家を育てる教育と同時に、建設需要に向けたエンジニアを育成する教育に重きが置かれているのだ。実際、ベトナム全土に40校ほどある建築・建設系大学の中でも、多くの学部が”Architecture”(=建築)ではなく、”Civil Engineering”(=建設)の名を冠している。こうして生まれた建設学生たちは、設計コンセプトを思考することには長けていなくとも、卒業した瞬間から実務レベルのデジタルスキルを持つ者が少なくない。
もうひとつの大きな理由として、施工現場における切実な需要が挙げられる。多くの施工現場では、数ミリ単位で描かれた図面の束よりも、細部まで精巧につくられた1枚のパースの方が優先して参照されるという、設計者としては少々悲しい現実がある。日本よりもはるかに早い速度で進む現場と、細かな図面を読むのが難しい日雇いの職人たちにとって、設計者のつくるCGは、より容易で迅速に思考を共有できるツールなのだfig.2。同時に、施主へのプレゼンテーションでは多くの場合CGパースの提出が求められ、プロジェクト全体の青写真をリアリティをもって説明することが要求される。ベトナムの建築現場において、CGは設計者・施主・施工者を結びつける一種のコミュニケーションツールなのだ。

前職のベトナムのローカル設計事務所は、まさにCG設計に特化した人材の宝庫であった。ソフトウェアを身体の一部のように使いこなし、PC上で軽やかに設計をする彼らの影響を受け、自らの設計手法も知らず知らずのうちに、模型中心から現在のような設計スタイルに変わっていった。

我が手を通して、建築を身体に宿らせる

一旦距離を置いてみると、模型制作とは非常に非効率的な作業だと感じてしまう。一度描いた図面をわざわざ制作用に変換する必要があり、決して安価ではない数々の模型材料や膨大な時間、手間を要する。大型の模型ともなれば、運搬にも大変な手間とコストがかかり、制作中には多くの廃材が出てしまう。なぜ私たちはこんな大変な思いをしてまで、模型をつくっていたのだろうか。
設計という行為は、法規、構法、周辺環境、施主や利用者の要望などさまざまな与件にがんがらじめに取り囲まれた大変に複雑な代物だ。この複雑なモノを、複雑なまま受け止めて考えることは、やはりとても難しい。そんな時、一旦頭を空にして、脳ではなく手を働かせてみる。すると、不思議と考えがすっきり整理され、新たなイメージが湧いてくるような感覚は、設計者の皆さんであれば一度は経験があるのではないだろうか。この時、床や壁、窓、屋根など建築を構成する要素が互いに与える影響や関係性、そういった建築に潜む複雑な生態系を無意識下で観察し、自らの体に叩き込んでいるはずだ。スタディ手法や表現方法といった実務的な役割以上に、設計、そして建築自体を「我が手を通して身体感覚に宿らせる」ことこそ、費用効率と時間効率を超える、模型制作の重要な役目なのではないかと考えている。

翻って、「建築を自らの身体に宿らせること」は、デジタルツールの世界においても可能であると、最近になってようやく実感しつつある。デスクトップとマウスを通して触れる3Dモデルからは、身体感覚のような生々しい感覚を得ることはできない。しかし、かつてのベトナム人同僚たちのように、自らの身体のようにソフトウェアという道具を操ることができるようになり、少しずつ模型制作で培ったあの感覚が芽生えてきている。
近年3Dソフトウェアの性能向上が著しいのは周知の通りだが、身体化という点で最も重要なのはUI(ユーザーインターフェース)の向上だ。私が8年前に初めて本格的に学んだ3Dソフトウェアは3dsmaxというもので、今でも事務所の主力の仕事道具だ。しかし当時のPCの性能では出力に莫大な時間がかかり、今では当たり前のインタラクティブ・レンダリング(別ウィンドウで完成形を確認しながら変更ができる機能)はなく、ひとつの要素を変更する度にさまざまな画面を行ったり来たりしなければならなかった。そうすると、切り替えの度に作業が中断し、集中が妨げられる。一方で、近年の優れたUIは、モデリングやテクスチャマッピング、レンダリングなど、CG制作に必要なすべての機能が使用者に余計な負担をかけることなく、自然なかたちで連携され、私たちが目の前の設計へ没入することを決して邪魔しないfig.3。身体化を成すためにはどこか瞑想に似た、何にも妨げられない集中状態を保てる環境が重要のようだ。

CGの「軽さ」、模型の「重さ」

CGによる設計の秀逸な点は「軽さ」にある。PCとモニター以外の場所を必要とせず、比較的容易に変更でき、成果物は海の向こうまでもすぐに送ることができる。この軽さは、感染症が世界的に蔓延する中でますます需要を増したことは疑いようがない。
一方で、建築模型のもつそこに存在するという説得力、モノとしての生々しさという意味での「重さ」には、私のスキル不足を差し引いてもまだ遠く及ばないと感じている。その意味において、CGに潜むこの言い知れない「軽さ」は、これからもデジタル世界を主戦場とするであろう私たちにとって、決して無視のできない課題だ。

最近では、インターネット上にあふれるレクチャー動画を見て手順を覚えれば、初心者でも簡単にきれいでリアリスティックなイメージを制作できるようになった。操作方法を覚えるだけで、過剰ともいえる脚色を上乗せしてアウトプットすることができる。
こうしたプログラムやAIによる自動制御は、私たちのCG制作現場でももちろん利用しており、たとえば、光の挙動を自動で演算・再現するレイトレーシングやグローエフェクトなどもそのひとつといえるだろうfig.4
しかしこれはある意味、身体感覚以上の意図しない膨大な情報がアウトプットに込められてしまうことでもある。私たちには説明のできないこの膨大な情報によって、私たちが本当に伝えたい、身体化したはずの情報が希釈され、薄まってしまう。これこそが、先に述べたCGに潜む「軽さ」の正体なのではないだろうか。密度の低さといってもよい。
一方で、たとえば自身でつくった模型から思わぬ発見があるように、模型制作においても意図しない情報は混入し得る。CGと異なるのは、そこにコンピュータのような他者がほとんど介在しないことだ。自らの手で組み上げている以上、その偶発的な要素すらも身体の延長線上にあるはずである。こうして細部に至るまで制作者の身体感覚が宿った模型こそ、私たちにいつまでも飽きさせない「重さ」を感じさせる。

身体化した情報をアウトプットに正しく込めるためには、デジタルツールという他者の力を振りかざすだけではいけない。それは大変に強力であるけれども、つくったものを用意された正解へと簡単に補正してしまう。そうしてできたアウトプットは一見美しくとも、最後に制作者の意図はどれほど残っているだろうか。

私は、デジタルツールの軽さを享受しつつも、コンピュータ制御による誇張や脚色から脱却し、素朴でも真実味のあるCGを制作したい。これは、デジタルツールの便利さを打ち捨てるということではない。この仮想空間の中の自然法則を観察し、そこで起きる現象も物理現実の延長として捉え、想像し、コントロールできるよう努めるということだ。結局のところ、設計の身体化と同時に、デジタルツールにまでも自らの身体感覚を宿すことが不可欠なのだ。
メタバース空間に生きる人たちは、そこで暮らすうちに、触覚や相手の吐息などあるはずのない感覚を感じるVR感覚(ファントムセンス)を持つことがあるという。そしてこの感覚を身に着けることを俗に、VR 感覚が「生える」というそうだ。彼らにとってそこにあるのは画面越しのデータではなく、生身の身体の延長なのである。
私も、画面の中の世界に我が手の感覚を生やしたい。手で捏ねるようにモデリングし、左官のようにマッピングして、丁寧に手間をかける。そうしてできた手仕事のようなCGは、画面越しにも舐めて見回したくなるような、感動と愛着を人びとの内に呼び起こすはずであるfig.5

山田貴仁

1988年東京都生まれ/2012年首都大学東京(現都立大学)都市環境建築学部建築都市学科卒業/2014年首都大学東京(現都立大学)大学院建築都市研究科建築学専攻修士課程修了/2014〜19年 Vo Trong Nghia Architects (現VTN Architects)勤務/2019年スタジオ・アネッタイ設立

山田貴仁
デザイン
デジタル
マテリアル
建築
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スタジオ・アネッタイの事務所内。CAD・CG・VRを用いて設計を進めており、基本的に事務所には模型が一切ない。/提供:スタジオ・アネッタイ

ダナンのレストラン「Burger Bros Danang」(2021年)の建設工事のために制作したCG(左)と、実際の竣工写真(右)。/左提供:スタジオ・アネッタイ 右撮影:大木宏之

3dsmaxによるインタラクティブ・レンダリングの作業画面。画面を表示しながら、照明効果、素材などを検討している。/提供:スタジオ・アネッタイ

レイトレーシングとグローエフェクトの適用画面。フォグに当たる光の反射を自動で演算し、数値を変更するだけでまったく違うイメージができ上がる。上からグローエフェクト適用なし、グローエフェクトとフォグ適用あり、グローエフェクトとフォグを適用したうえで数値を調整した図。/提供:スタジオ・アネッタイ

VUILDが手掛ける 「NESTING」 のためのイメージパース。過度な装飾を排しつつ、人びとが現実に自分がそこにいる体験を思い起こすような、真実味と没入感のあるCGを目指した。/提供:スタジオ・アネッタイ

fig. 5

fig. 1 (拡大)

fig. 2