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2022.12.01
Interview

建築家のライブラリー

第7回 塚本由晴

インタビュアー:中島佑介(POST)

「新建築書店」(英語名:POST Architecture Books)では、さまざまな分野から建築に携わるみなさんのおすすめの書籍を伺いながら選書を進めています。またみなさんのお話を通して建築を考える上での本の可能性を考えていきたいと思います。第7回は塚本由晴さんにお話いただきました。インタビュアーは「新建築書店」を運営する中島佑介さんです。本記事は『新建築』11月号でもご覧いただけます。

本は建築みたいなもの

塚本由晴(以下、塚本)  最近手に取るのは、昔の建築論や小説、哲学や文化人類学といった分野の読み物で、人に教わったり、ある本を読んでいて新たに知って気になったりした本がほとんどです。本1冊読み終わるのに半年ぐらいかかってしまうのですが、その間ずっとカバンに入れて持ち歩いたり、お風呂で読むのが日課で何度も湯船に落ちたりして、ボロボロになってしまいます。そうやって1冊を最後まで読むのが好きです。本は概念を定義しながら進んでいくもの。概念というのはすごく広がりがあってふわっとしたものだけど、本を読んでいるとそこに輪郭を与えるような言葉が現れて、「なるほど、そういう言い方あるのか」という気付きがあります。また、最近ようやく注釈を楽しく読めるようになりました。以前は本文を読むのに精一杯で注を読んでいたら筋が分からなくなってしまっていたのだけど、注は書き手が何と何を繋げようとしているかが立体的に見えてくる。自分で書いた文章も、以前より注を充実させるようになりました。

──美術書についてはいかがでしょうか?

『Arbeiten 1969-1976』

塚本  昔、中島さんが経営されるPOSTに伺ってフランツ・エアハルド・ヴァルターの『Arbeiten 1969-1976』(G. Adriani、1977年)fig.2を購入しました。私はものに対する人のレイアウトを「ふるまい学」と名付け研究していたのですが、人間の体の向きに応じて置いてある布の意味も変わってしまうように、ヴァルターは人の介在によって生まれる作品をつくっていて、同じことを考えている人がいることを知り感化されました。この本で選書をされた中島さんと私の脳みそが本で絡まったという感じがします(笑)。別の人の思考と繋がり、面白いことがたくさん起こるのは本の魅力ですよね。

『chance and change』

塚本  ヘルマン・デ・フリースの『chance and change』(hames & Hudson, 2006年)もPOSTで購入した本です。宗教を問わない共同墓地として、コンクリートの棺を積み上げて現代のピラミッドをつくることがテーマのコンペティション「The Great Pyramid architectural competition」(2007年)では、この本に触発されたアイデアを出しました。4社の指名アイデアコンペで、審査員のレム・コールハースが全員1等にするという、よく分からない結果でした(笑)。『Solution 9: The Great Pyramid』(Sternberg Press、2008年)という小さい本にまとめられています。

私が学生だった1980〜90年代は、フランスの建築雑誌『L’architecture d’aujourd’hui』やスペインの建築雑誌『El Croquis』など、建築家のモノグラフをコンセプトブック的に出版していて強く影響を受けました。そこで気付いたのは、コンセプトがある建築家の作品集は面白いけれど、そうでないと実績紹介のポートフォリオになってしまうことです。ですから、私は自分たちの視点で本をつくることに活動当初からこだわってきました。最初は作品がないから都市のリサーチをし、コンセプトを文章にまとめて、『メイド・イン・トーキョー』(鹿島出版会、2001年)などを出版しました。これまでたくさんの本をつくってきて思うのは、「本は建築みたいなもの」ということです。向き合う相手に合わせて掘り下げたり、価値を引っ張り出したりすることからストラクチャー=章立てをつくり、中身を構築していく。それは建築がいろいろな人と関わりながら社会化され、世の中に物質として現れることに似ていると思います。


──今までに影響を受けた本について教えてください。

『雪あかり日記』

塚本  まずは谷口吉郎さんが1938年にベルリンの日本大使館の改築のために派遣された際の記録をまとめた『雪あかり日記』(中央公論美術出版、1974年)です。綺麗に切り出された石しかないヨーロッパで自然石を用いた日本庭園ができるのかと暗い気持ちになったり、ナチスが台頭していく街で商売ができなくなったユダヤ人が経営する店を目にしたりと、終戦後の文章ではないからかもしれないけれど、目の前で起きていることのよい悪いはジャッジせず、淡々と日々を記述しています。谷口さんは「意匠心」という言葉を用いるのですが、それが依りどころとなって谷口さんの中立的な平衡感覚を成立させていると私には読めて、谷口さんの姿勢が素晴らしいと思うのです。また戦後には藤村記念堂の建設にひと肌脱いだり明治村をつくったりと、谷口さんは利己的に建築をつくらなかった。それは建築をとても大きなものとして感じていたからだろうと思います。

本を通して事物連関を追いかける


──今、建築を考える上で、重要な本について教えてください。

『空間の生産』

塚本  ある時期、建築を考える起点にしていたのがアンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』(青木書店、2000年)fig.3です。これは2005年にアメリカ・ミネアポリスで開催された展覧会に招待された際にトルコの建築家でアーティストのジャン・アルタイに教わりました。ジャンの展示は路上占拠してお酒を飲むイスタンブールの若者をレポートした「minibar」という作品で、写真、地図、コメントに加えて、その現象を読み解くための助けになる哲学書や社会学書にたくさんの付箋が貼られ、机に並んでいるというものでした。彼はアトリエ・ワンをよく知っていて、「アンリ・ルフェーヴルをどう思う?」と聞かれて、「名前は知っているけれど、あんまりよく知らない」と答えたら、「え!お前がやっていることは『空間の生産』の発展系じゃないか!」と言われて「そうなの?」と(笑)、日本に帰ってすぐ本を買って読みました。イタリアのレクチャーでは「スキルを持ち寄って学び合い生きる力をみんなでつくれるような場が大事」と話していたら、イヴァン・イリイチの書籍のイタリア語訳を手掛けた建築家が「あなたはイリイチのコンヴィヴィアリティを実践している」と言ってくれて帰ってから、『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫,2015年)を手にしました。そんな風に人に勧められて出合った本はとても腑に落ちるし、自分の考えを進める上で助けになります。

『生き物から見た世界』

環世界について書いたユクスキュルの『生き物から見た世界』(岩波書店、2005年)は、ジル・ドゥルーズの本で引用されていたので興味を持ちました。1980年代頃の建築家は、周囲に左右されないような、ひとつの完結した作品として建築を捉える姿勢が強かったと思います。しかし私は、建築を始めた頃から、隣接する建物や地面との関係に強く意識が向いていました。つまり周囲と共にある建築のあり方です。この本では手術台の上で各種器官に解剖され、その構成として理解される生物学的なウサギと、野を駆け回り草を食べ、時には猛禽類に捕食されるものとして理解される生態学的なウサギを対比しており、自分の考えは生態学的デザインという考え方を開く可能性を感じて、知的な興奮を覚えました。

『虚構の近代』

ブルーノ・ラトゥールの『虚構の近代』(新評論、2008年)は東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク「アーキエイド」の活動をしていた時に読みました。ラトゥールは、たとえば政治的決断や科学的研究、あるいはメディア報道の中に、一般の人あるいは専門家であっても内容を批判できないような「ハイブリッドモンスター」ができ上がっていることを指摘します。たとえば防潮堤をつくる場合、海底の地形データを基に波の力をシミュレーションして得られた津波高さが防潮堤の設計根拠となるのですが、幅が100mもない湾に対して50mグリッドのメッシュでデータを取る。そのような精度の低いデータを基に土木設計が防潮堤の断面を描き、そこに導入される資材や人件費などのコストを計算するわけです。要するに地形データ→シミュレーション→防潮堤断面→コストというようにいろいろな分野に事物がまたがり、前の段階を遡ってデータを疑うこともない。急を要する復興の過程で、そもそもメッシュデータはそれでいいの?という議論はできず、とにかく進むしかない。結果でき上がる防潮堤は、まさにハイブリッドモンスターなわけです。そのような事物連関を追いかけた理論的枠組みが書かれていて、被災地で起きている状況を批判的に見る視点を与えてくれた本です。

『山里の釣りから』

内山節さんの『山里の釣りから』(岩波書店、1995年)では自然と多様に関わる山里の労働や、多数決という方法を取らずに全会一致になるまで議論する文化などが語られます。元もとマルクスの研究者である内山さんが農村における共同体の意味や役割を書く中で、資本論の前提を相対化していく面白い本です。

『マツタケ』

『マツタケ』(みすず書房、2019年)はAmazonにお勧めされて、タイトルが気になり購入しました。マツタケが育つための生物界の連関、さらにわれわれの食卓に届くまでを追跡し、マツタケを軸にどう人間が絡んでいくのかを描く「マルチスピーシーズ・エスノグラフィ」という文化人類学の本です。マツタケを収穫する段階ではまだ商品ではなく、著者いわく「資本主義の目録に載っていない」。それを不安定な生活を送る戦争難民や退役軍人などがハントすることで生活する場所が生まれる。さらに採集したマツタケを仕分けする段階で目録化が起こり、世界的なマツタケの集積地である築地に持ち込まれるととんでもなく高額になる。そのように、マツタケは資本主義の外から内へ入っていく独特な存在なのだと指摘しています。生態学と資本主義論、さらにそこで生きる人びとといった関係性の中で、脱資本主義を考えるのに有効な知見が詰まっています。

『空間 時間 建築』

ここまで挙げた書籍たちが中心に据える「事物連関」の概念について考えているうちに、私は「空間」という概念を疑い始めました。日本で空間という概念が建築の議論に登場するのは、 1950年代の丹下健三研究室からです。たとえば建築家・吉田鉄郎が1930年代に書いた文章には「空間」は一切出てこないというように、空間という言葉なしに建築を議論していた時代がある。しかし丹下研究室は建築から都市を一貫して議論するために、建築でも都市でもない言葉である「空間」が必要だったと思うのです。それは、自分の身の回りや育ってきた環境、あるいはどこかで誰かがつくった材料から自由になって、建築や都市について議論できる建築家にとっての「遊び場」だったのではないか。自分たちがつくる建築にどれだけのエネルギーを使うのか、どれぐらいの地面が掘削されているかは考えなくていい。産業としての建設業も完全に空間のために組み上げられているので、物事を成立させるいろんな連関が外部化した状況をなかなか変えられない。だから、その状況を批判的に捉え直すためにも、建築家たちがいちばん得意だと思っている「空間」を疑わないと駄目じゃないの、というのが私の主張です。そこで空間について批判的に読み直すために改めて手に取ったのが、ジークフリート・ギーディオンの『空間 時間 建築』(丸善、1969年)です。この中に出てくる「構成的事実」という概念は歴史的に繰り返される価値を生み出す配列のことです。それは私が事物連関を考える中で見出した、加工する材料の性質に依拠したものづくりの「不変の工程」にも近いものです。

『CAPITAL AGRICOLE』

『CAPITAL AGRICOLE』(PAVILLON ARSENA、2020年)fig.4は、2016年にパリで行われた展覧会における設計事務所SOAによるリサーチをまとめた本です。フランスは農業大国でパリ郊外には農地もたくさんあるのですが、近代で隔てられた農村と都市の壁を壊したらどうなるかという問題意識に基づいて行われた展覧会でした。この本で特に素晴らしいのはアーティストのヤン・ケビがリサーチ結果を受けて描く愛嬌のあるイラストレーションです。1870〜1930年代の統計や民族的な調査に基づいた農村の登場人物や道具・建築・ランドスケープ、現在のチャレンジングな研究や酪農に従事する人たち、さらにロボットを装着した未来の農業従事者や農業が共存する都市像を紹介するイラストレーションに触発されます。

本を使った新たなパフォーマンスを生む書店


──最後に、本屋に期待されることについて教えていただけますか?

塚本  ポエトリーリーディングを行う本屋や、ラジオやオーディオブックのように人の声も楽しめるような場が生まれるといいと思います。本が個人の本棚に入って終わるのではなく、本を使ってさらにパフォーマンスをする、それを基にいろいろな話が広がるということがとても好きなんです。数年前に、京都精華大学のスタジオで川端康成の『古都』を読むことからスタートする設計の課題を出したことがあります。文中に出てくる植物園や木を見に行って、本に書いてある当時とどう違うのかを話して、今だったらそこにどんなプロジェクトを投げ込むかという課題です。そのように本を読んで終わりではなく、そこから何かをつくるというきっかけが生まれると面白いと思います。fig.5

(2022年9月27日、ハウス&アトリエ・ワンにて 文責:新建築.ONLINE編集部)

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インタビューで登場した本一覧
『Arbeiten 1969-1976』(G. Adriani、1977年)
『chance and change』(hames & Hudson, 2006年)
『メイド・イン・トーキョー』(鹿島出版会、2001年)
『雪あかり日記』(中央公論美術出版、1974年)
『空間の生産』(青木書店、2000年)
『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫,2015年)
『生き物から見た世界』(岩波書店、2005年)
『虚構の近代』(新評論、2008年)
『山里の釣りから』(岩波書店、1995年)
『マツタケ』(みすず書房、2019年)
『空間 時間 建築』(丸善、1969年)
『CAPITAL AGRICOLE』(PAVILLON ARSENA、2020年)

塚本由晴

1965年神奈川県生まれ/1987年東京工業大学工学部建築学科卒業/1987〜88年パリ・ベルビル建築大学/1992年貝島桃代とアトリエ・ワン共同設立/1994年東京工業大学大学院博士課程修了/2003、2007、2015年ハーバード大学大学院客員教授/2007〜08年UCLA客員准教授/2011年The Royal Danish Academy of Fine Arts客員教授、Barcelona Institute of Architecture客員教授/2013年コーネル大学visiting critic/2015年デルフト工科大学客員教授/2017年コロンビア大学客員教授/現在、東京工業大学大学院教授/2021年ウルフ賞受賞

中島佑介

1981年長野県生まれ/2003年早稲田大学商学部卒業/2003年limArt設立/2011年〜アートブックショップ「POST」代表/2015年〜Tokyo Art Book Fairディレクター

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塚本由晴氏(左)と中島佑介氏(右)/撮影:fig.1〜5すべて新建築社写真部

『Arbeiten 1969-1976』(左、フランツ・エアハルド・ヴァルター著、G. Adriani、1977年)と『chance and change』(右、hames & Hudson, 2006年)

左から『空間の生産』(アンリ・ルフェーヴル著、青木書店、2000年)、『虚構の近代』(ブルーノ・ラトゥール著、新評論、2008年)、『山里の釣りから』(内山節著、岩波書店、1995年)、『マツタケ』(アナ・チン著、みすず書房、2019年)、『空間 時間 建築』(ジークフリート・ギーディオン著、丸善、1969年)

『CAPITAL AGRICOLE』(PAVILLON ARSENA、2020年)

ハウス&アトリエ・ワンの本棚から書籍を探す塚本由晴氏。上段は哲学関係、中段は建築・アート関係、下段は雑誌で分類し、購入してきた本、自身で出版してきた本が並ぶ。今年9月に『WindowScape[北欧編] 名建築にみる窓のふるまい』(フィルムアート社)を出版した。産業社会的連関の外にいかに踏み出すかという問題意識から、近代化と民族的連関の中で建築を考えていた20世紀初頭のスカンジナビアの建築家たちに焦点を当てた。

fig. 5

fig. 1 (拡大)

fig. 2