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2022.08.12
Essay

自身の人生を掴み取るための旅

堀井義博(AL建築設計事務所)

『新建築住宅特集』2005年5月〜2008年4月号に掲載された連載「旅のチカラ」を順次再掲します。再掲に合わせ、堀井義博さんに「旅」について思考したエッセイを寄せていただきました。(新建築.ONLINE編集部)

このエッセイは、今学生の皆さんに向けて、旅について書くものだ。とはいえ、伝染病に支配された現在、自由気ままにあちこち旅に行くのもなかなか憚られる。でもそんな折だからこそ、旅とは何なのかについて考えていただきたいと思う。
今20歳の学生は21世紀生まれで、人の言葉を覚える前からインターネットが存在する環境に生まれ育ち、物心ついた時には、手元の機械で呼吸するように何でも「ググる」ことができた。そういうあなた方に対して、昭和生まれの私がいえることはほとんど何ひとつない気もするが、もし今「とても行きたい場所」「どうしても会いたい人」「絶対にやってみたいこと」があるなら、それらはあまり後回しにしない方がいいよ、と最初にいっておきたい。

人生は旅であり、また旅は人生である

人生はよく旅に例えられるけれど、旅には大抵、ある場所への訪問だったり、人に会うことだったり、やりたいことだったり、要するに特定の場所へ行かなくては達成できない目的がある。そのために行う空間的な移動こそが、旅に出るという行為なのだと思う。
その一方で、旅に例えられる人生というものは、よくも悪くも「結果としてそうなる」類のものだ。ある程度までは予定したり計画できるとしても、いつどこでどのように死ぬかまで正確に決めておくことなどできない。人生という旅の始まりは、そもそもまったく偶然に与えられ、終わりはハッキリしないし、自分で確認することさえできない、とても抽象的なものだ。この抽象的な旅は、それぞれの目的を持った期間限定の具体的な小さな旅たちの束でできている。
人生は旅に似ているかもしれないが、旅もまた人生に似て偶然の産物が付きものであり、すべてが予定通りに行くとは限らないものだ。以下に私自身の例を書いてみよう。

大学学部3年から大学院生時代にかけての私は、レム・コールハースに夢中だった。すでに亡くなった歴史上の人物ならともかく、当時のコールハースは47歳と、現在の私より若く、まさに「これからの人」だった。その人に会いもせずに、遠い存在だと勝手に決め込んで生きていくことは、当時の自分には考えられなかった。何のつてもなかったが、1991年、修士2年の夏休みには、バイトで貯めた現金を元手に、OMAに就職することをイメージしながら、とにかく彼に会いに行くことに決めた。
今あなた方の手元にある機械は当時私の手元にはなく、手紙、電話、ファクスと、どの手段で連絡を取ってもすべてが無反応で諦めるしかない状況だったが、だからこそ直接会いに行く以外に手段がないと考え、格安航空券でオランダに飛んだ。事務所の住所が分かっているなら、会えないはずがないと思っていた。
OMAがあるロッテルダム市内に安宿を見つけた数日後、当時の事務所があったビルの裏の路上でコールハース本人を見かけて直に話しかけたfig.1。そこからは話が早く、うちの事務所に興味があるなら来いといわれ、当時はまだOMAのスタッフだったヴィニー・マース(現MVRDVのM)に託された。そこからは、スタッフに混じって模型をつくったり、スケッチを描いたりといったOMAでの生活が始まった。
こんな具合に、その夏休みは充実の2カ月となるはずだった。しかし、ヨーロッパでは結構な長期休暇(バカンス)を取る習慣があることをすっかり忘れていた。そしてそのシーズンがやってきた。夏休みの丸々2カ月間をOMAに入り浸るつもりで渡欧したのに、実際にはたったの2週間しかいられなくなり、渡欧の目的そのものを失った。
では、渡欧した意味はすべてなくなったかというと、結論をいえばそうでもなかった。帰国便までの残りの1カ月ほどは、仕方なく列車であちこち周ることにした。当時のヨーロッパの夏休みは、どこへ行っても日本人建築学生がいたので、会うたびにおすすめを聞いては場当たり的に行き先を決めていた。
その結果、もちろん行く前から知ってはいたけれど、それほど強い興味を持っていたわけでもなかったル・コルビュジエの作品…とりわけ「ラ・トゥーレット修道院」(1960年、『a+u』1711)に強烈に魅了されてしまったのだった。
この時の渡欧で「ラ・トゥーレット修道院」と出会ったことが、後の私の人生に非常に強い影響をもたらした。修士論文ではコールハース論を書いたのだが、その中では、コールハースの思考方法の応用例として「ラ・トゥーレット修道院」の分析を書くまでになった。後にそれは『建築文化』(1996年10月号、彰国社)のル・コルビュジエ特集で発展的に書かせてもらった。私が書こうとしたのは、あくまでコールハースを介した「ラ・トゥーレット修道院の分析」だった。ふたりは別々の時代を生きた、直接的な繋がりを持たない建築家同士だが、私の中では完全に統合された論理回路として作用した。それは間違いなく、その旅で得た成果だった。要するに、旅の最初の目的を早々に失った代わりに、まったく予想もしなかった体験と着想を持ち帰ったのだった。

最初に望んだことはほんの部分的にしか実現できなかったにも関わらず、私はこの時の旅をまったく後悔していない。それどころか現在の自分にとっての重要なバックグラウンドになったとさえ思っている。

取り消しの効かない世界をどう過ごすのか

あなたは今、手元の機械でこの文章を読んでいるだろう。あなたにとってその機械があまりに「自然」で当たり前過ぎるせいで、あまり深く考えたことがないかもしれないが、その機械はとてもすごい。何がすごいって、あなたが何かを間違っても、お手軽に「取り消し」させてくれる。あなたはそれを当然のように受け入れているかもしれないが、そう考えてはいけない。何故ならその機械から「外」に出れば「取り消し」の効かない世界に直面するからだ。テーブル上のカップに肘を当て、コーヒーをぶち撒けちゃったら「Ctrl+z」というわけにはいかないでしょう?

最初にも書いたが、もし今「とても行きたい場所」「どうしても会いたい人」「絶対にやってみたいこと」があるなら、それらはあまり後回しにしない方がいい。なぜなら、後から追い掛けてそれと同じことをしようにも、そもそものあなた自身が変わってしまっているからだ。時間を巻き戻すことはできない。20代のあなたは、あなたが20代の時にしかいない。人生の夏は短い。人生は旅に似ているが、旅もまた人生に似ている。旅が主として空間的な移動を伴うものだとすると、人生は後戻りのない(できない)時間の旅そのものだ。あなたは今後の人生を、やってみたいことを実際にやった人間として過ごすのか、それとも結局やらなかった人間として過ごすのか?

上述した通り、私は会いたい人に会った人間としてこの30年強を過ごした。他人からすれば嘲笑される程度の体験かもしれないが、これはどこかの知らない誰かの人生ではなく、私の人生なのだ。横並び意識が強く作用する社会では、自分自身を疎かにしてキョロキョロと周囲ばかりを気にし、周囲との比較でもののよし悪しを判断しがちだ。しかし、それでは自分の人生を他人に預けたままにしているようなものだ。私が私の人生を自分で掴み取ったように、あなたもあなたの人生を自ら掴みにいってほしい。あなたが「~したい」と思っていることを実現するための小さな旅は、あなたがあなた自身の人生を掴み取るための重要な訓練であり、かつ実践なのだから。

堀井義博

1967年大阪府生まれ/1990年京都工芸繊維大学工芸学部住環境学科卒業 /1992年同大造形工学専攻博士前期課程修了/1992〜2000年UPM勤務 /2000〜2002年スイス連邦工科大学客員研究員/2002年0110110architects設立 /2012年AL建築設計事務所共同設立(同代表取締役)

堀井義博
旅のチカラ
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コールハース氏を見つけて話しかけたポイントは赤いピンの辺り(ストリートビューはこちら)。当時のOMAが入居するビルのすぐ裏手で、本人が歩いて来るのが目に入り、思い切って話しかけて自己紹介した。/© OpenStreetMap contributors

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