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2022.07.08
Essay

「いったん保留」のワイルドカード

カワイイ建築パラダイムを振り返って

大村高広(GROUP)

新建築.ONLINEで、『新建築』2007年10月号〜2008年4月号に掲載された真壁智治さんによる計4回の連載「カワイイ建築パラダイム」を再掲しました。初出から約15年が経った今、「カワイイ」を巡る建築の内在的な意味や言葉の価値基準はどう変化したのか。大村高広さんに、現代の視点から「カワイイ」論を再考していただきました。(新建築.ONLINE編集部)

よくよく考えてみれば、 建築を「カワイイ」と感じるのはとても変なことじゃないか。「カワイイ」はもとより「小さいもの、弱いものなどに心惹かれる気持ち」や「ほかと比べて小さい様」という意味を含んでいるが、どう考えても建築は大きいし、とても丈夫だ。本来の意味に当てはめて考えると、そんなにカワイイものではないと思う。

真壁智治さんの『新建築』での連載「カワイイ建築パラダイム」は、学生が「カワイイ」という形容詞を現代建築に多用する謎の現象に真壁さんが興味を持ち、学生と共にリサーチを開始したことに由来している。連載執筆が2007〜2008年。著書『カワイイパラダイムデザイン研究』(平凡社)は2009年に出版されている。後にミーム化する「カワイイはつくれる」というキャッチコピーを世に浸透させたのは、2006年の花王のヘアケア製品の広告映像だ。「カワイイ」が「美しい」を代替し得る時代の空気があったことは確かだと思う。2010年に大学に入学し、「カワイイ」ど真ん中世代(?)ともいえる筆者が、当時の学生の感覚を驚きをもって受け止めようとしている本連載を振り返って読むと、当の価値判断が自分にとって驚くほど自然で、普段こともなく使っていることに気がつく。多少大袈裟なことをいえば、私や私より下の世代の人間にとって、いまや「カワイイ」という言葉で建築を評価することは──とりわけ設計段階において──常態化しているようにも思える。

連載の掲載から現在までの十数年で何があったのだろうか。前提にあるのは、イメージも、実空間の経験も、言葉も、フラットな情報として画面上で絶えず干渉し合い、SNSが日常生活の一部となり、画像検索とイメージの収集が設計過程のプロセスに組み込まれている状況だ。建築に対して「カワイイ」というステータスが与えられるのは、パースや写真、模型、ダイアグラムといった、実際の「大きさ」を失った状況での建築の受容が加速したことに由来するのかもしれない。NURBSによる3次元モデリングツールの一般化や、3Dプリンタを始めとするデジタルファブリケーションの普及といった近年の建築設計教育の急速なデジタル化によって、建物の寸法に対する認知の機会が失われつつあることは否めない。他方でこの形容詞が、建築が「大きさ」を失う局面、すなわち建築の設計プロセスにおいて差し向けられる点は注目に値する。

新しい感覚と言葉を持った学生に、どのような教育的態度で臨むべきか。真壁さんはコトバが相対的に軽くなってきたことを頭ごなしに否定するのではなく、理性による合意形成型のコミュニケーションから感覚共有型のコミュニケーションへの変容の兆候と、「カワイイ」が含んでいる本能的な批判を読み取ろうとする。「カワイイ建築パラダイム」が一貫して教育の問題であること、すなわち建築の構想段階における価値基準の変容であることを見逃してはいけない。
一般的に「カワイイ」は褒め言葉だが、それと同時にこの形容詞は、すでに了解されている美的価値との明確なズレがある、ということを指してもいる。ゆえに、建築を「カワイイ」と感じるのは、その表面的な語感の緩さとは対照的に、極めて専門的な知性だといえる。真壁さんは「軽いコトバ」の表出のマトリックスの背後につくり手と使い手の近い距離感による感覚の共有を見ている。「つくり手の使い手化」では決してない。「カワイイ」の背景には、専門的な既存の価値基準を理解した上で、それとはズレた「よさ」を感じる主観性がある。プロフェッショナリズムとアマチュアリズムが奇妙に重なること。おそらく「カワイイ」は、設計プロセスにおける内在的な問題であり、一種の方法論なのだ。

スタディにおいて「カワイイ」が要請されるのはなぜか。適切な言葉が見つからないまま、しかし、確かにそこに存在している「よさ」をどうにかして名指し、言語化もダイアグラム化もしないまま、プロジェクトの検討を継続するためだ。「カワイイ」はその語源上、弱いものへの視線を内包している。あからさまなコンセプトを立てず、良し悪しの判断をできるだけ先延ばしにして、その途上で浮上するさまざまな可能性を「いったん保留」にするためのワイルドカードとして「カワイイ」が用いられる時、設計プロセスにおいて通常は淘汰されてしまうような歪さや不安定さがひとまず肯定され、守られる。「カワイイ」がもっているラディカルさがここにある。予感が未来へと滑り込むような、内在的実験がここから始まる。

大村高広

1991年富山県生まれ/2017〜2020年東京理科大学博士後期課程、博士(工学)/2021年〜GROUP共同主催/現在、東京理科大学、東京都市大学、東京デザイナー学院非常勤講師

大村高広
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最近検討中の住宅で、筆者が「カワイイ」と思った模型(GROUP・齋藤直紀作)。納戸についてずっと考えた結果、街に対する独特な構えを取ることになったことに驚き、そのなんともいえないアンバランスな平面性を「カワイイ」と感じた。/提供:大村高広

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