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海外の建築教育 第6回:学びの間の実務

杉田 宗/広島工業大学環境学部建築デザイン学科准教授

バックパッカーとして1年間ヨーロッパの建築を巡りながら放浪した後、パーソンズ・スクール・オブ・デザインに復学し、2004年にインテリアデザイン学科を卒業した。ここで日本との大きな違いは就職活動であった。アメリカの学生は在学中に就職活動をしない。学生の間にインターンやアルバイトに行った会社に入社するパターンもあるが、ほとんどの学生は卒業式を終えてから就活用のポートフォリオ作り始め、人を探していそうな会社にレジメを送り、連絡が来るのを待つ。みな趣向を凝らしたデザインのレジメやワークサンプルで差をつけようと必死で、自己アピールに掛けるパワーが日本とはまったく異なる。私は放浪の旅を経て、建築への思いが強くなっていたので、果敢にも建築設計事務所に応募した。100社程送った頃に、スティーブン・ホールの事務所で面接してもらう機会を得た。面接の最後に、学部卒の、しかもインテリア出身の私になぜ面接のチャンスが巡ってきたのかを人事担当者に尋ねると、「スティーブンは何から何までデザインするから建築やインテリアの線引きはないよ。君のポートフォリオは良くできてるしね」と言ってくれた。入社することは叶わなかったが、アメリカでの就職活動はこういった小さな出来事の積み重ねだった。

ここから3年間は社会人として働いた。最初はトライベッカにある小さな設計事務所。ボスのジェフはKPFで谷口さんのMoMAを担当した建築家で、ディテールや図面の描き方などをゼロから教えてくれた。ミッドタウンの進行中現場にも頻繁に行かせてもらった。その後30人程の規模の設計事務所に移る。組織が大きくなると環境は大きく変化した。大学院卒のスタッフがどんどんとプロジェクトを担当する横で私は模型やパースばかり。就業ビザの取得など、仕事以外のことも多く重なり、外国人として働く事の難しさを実感した時期でもある。

その後、友人からの紹介で北京のMADに勤務することになる。大学院に進学することは決めていたので、大学に戻る前に色々な設計の現場を見ておきたいという気持ちが強かった。MADはカナダのアブソルートタワーのコンペに勝った直後で、さまざまなな超高層のコンペに参加していた。ここではじめてRhinocerosに出会い3次元で設計するプロセスに触れたと同時に、Rhinoscriptを使ってパラメトリックにデザインする方法を学んだことで、私のコンピューターの使い方が大きく変化した。これは北京オリンピックの2年前で、北京はまさに建設ラッシュ真っただ中。休みの日にはCCTVやバードネストの建設現場を見てパワーを入れて、平日はコンピューターに噛り付いてモデリングやプログラミングに明け暮れる日々であった。北京に移ってから半年が過ぎようとしていたころ、ペンシルバニア大学からの合格通知が届く。学部卒業から3年が過ぎ、実務を通して建築の奥深さを知るとと共に、設計におけるコンピューターのさらなる可能性を感じ始めていた頃である。そして学部時代から興味を持っていたセシル・バルモンドが教鞭を執る大学院への進学を決めた。

杉田宗/広島工業大学環境学部建築デザイン学科准教授
1979年広島県生まれ。2004年パーソンズ・スクール・デザイン卒業。Rogers Marvel Architects(2005~2006, New York)、MAD(2006~2007, 北京)に勤務した後、2010年ペンシルバニア大学大学院建築学科修士課程を修了。2010年より杉田三郎建築設計事務所。東京大学Global30国際都市建築デザインコースアシスタント(2012~2014)を経て、2015年より広島工業大学環境学部建築デザイン学科准教授。専門は建築分野におけるコンピュテーショナルデザインやデジタルファブリケーション。『HIROSHIMA DESIGN LAB』や『ヒロシマBIMゼミ』など、広島を拠点に教育・研究・実務を横断的に繋げる活動を展開している。主なプロジェクトは、gathering(2010)、かも保育園ハッチェリー(2019)、山根木材福岡支店 (2020)など。