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建築におけるコンピュテーショナル・デザインの系譜 第6回:自然の系譜[前編]

葉祥栄とフライ・オットー

木内俊克/木内建築計画事務所代表

本コラム第1回で言及した「Archaeology of the Digital」で取り上げられていた4人の建築家から、第6回、第7回では葉祥栄に着眼し、そこから見えてくるコンピュテーショナル・デザインの流れを「自然の系譜」と位置付けて読み解きたい。

葉祥栄の仕事については、建築討論2019年8月の特集号『建築批評 葉祥栄《小国ドーム》── 現代木造とコンピュテーショナル・デザインの源流を探る』に詳しい。1988年に葉により設計され、コンピュータライゼーションにより実現された木造の立体トラスである「小国ドーム(小国町民体育館)」が、その後いかに葉の設計プロセスにおける思考方法自体を刺激し、続く「ギャラクシー富山」(1992)、「小田原市体育館コンペ案」(1991)の中でコンピュテーション的に新しい造形言語の獲得に結実していったかの変遷がつぶさに読み取れる素晴らしい特集号だ。同特集の葉自身へのインタビューに添えられている水谷晃啓の論考「統合技術としてのコンピュテーショナルデザイン」では、葉の形態に対するアプローチを、その前後の80年代から90年代までの同行に照らして整理しており、興味のある方はぜひ一度精読されることをおすすめしたい。

ここでは、そうした葉の仕事を取り巻くさまざまなダイナミクスの中から、「自然の系譜」を読み解くという目的に照らしてぐっとフォーカスを絞り込みたいのだが、そこでやはり着眼したいのは、葉自身も上記のインタビュー内で言及しているとおり、小国での試みの着想の出発点に、フライ・オットー(Frei Otto)が設計した「マンハイムの多目的ホール」(1974)があったという事実だろう。

マンハイム市の公式Youtubeチャンネルより 「マンハイムの多目的ホール」の文化的価値についての紹介動画 

第2回で紹介した「複雑さの系譜」から、「Deconstructivist Architecture」展が1988年、アイゼンマンの「City of Culture of Galicia」の提案が1999年、日本における同じ文脈でforeign office architectsの横浜大桟橋国際客船ターミナルのコンペが1995年(竣工は2002年)、また第4回の「動きの系譜」でいえば、ホバーマンがシザー機構を発見してパテント取得の申請を行ったのが1988年と考えると、葉の「小国ドーム」におけるコンピュータライゼーションがいかに早かったかがよくわかるが、そのさらに14年前のオットーに「自然の系譜」はさかのぼるということになる。
オットーの真骨頂は、ものの物性や構造的なふるまいをそのまま生かしたフォーム・ファインディングの方法化だろう。ガウディのサグラダ・ファミリアの幾何学形状が、鎖を垂らしたときに自然に生まれる懸垂曲線=カテナリーの組合せから定義されていることはよく知られているが、オットーは石鹸の膜にどんな応力や支持点が与えられたときにどのような形態が生まれるかを探索するといった手法に見られるように、特定の条件と物質の「自然」なふるまいから建築の形態を探索するスタディを大量に行っている。

YoutubeチャンネルのFrei Otto Filmより 石鹸を使ったシェル構造のフォーム・ファインディングの実験

留意したいのは、オットーは、ある形がなぜその形になるのかという理を探索しているという点で、これは構造的なふるまいとは無関係に決定された形を無理矢理にでも何とか成り立たせる構造材を投入する、という考え方とは根本的に態度が異なっている。構造的なふるまいを把握し、形ではなくふるまいを模倣するシステムをつくり、その試行錯誤の中から結果生み出される形を建築に生かしていくというアプローチには、必然的にコンピュテーション的な思考回路を切り開く契機がある。そしてもののふるまいに寄り添うことは生産や建設の経済化にも寄与する。

「マンハイムの多目的ホール」はその意味でオットーの数あるプロジェクトの中でも重要な非常に先駆的な仕事だ。最終的な建築の形のみにとどまらず、どうつくるかにも必然的にアプローチが拡張されている。地上で組んだ木造のグリッドシェルを、徐々に支持点間の距離を縮めて所定の位置に追い込んでいくことで自然に生まれる曲面を建築の形状として採用した「マンハイムの多目的ホール」は、実際にそのようなプロセスで建設され、圧倒的に軽量でダイナミックな形状のシェルの実現に至った。

こうしたオットーから続く「自然の系譜」は、葉祥栄に代表される80~90年代の仕事に見られる世界各地へ断続的な影響を及ぼしながら、00年代のアカデミックなムーブメントにも脈々と引き継がれ、10年代のアキーム・メンゲス(Achim Menges)やネリ・オックスマン(Neri Oxman)といった流れにまで展開していくことになる。東京大学Advanced Design Studiesで筆者が担当した2013年の「DFL Pavilion」も、まさにこの系譜に位置付けられる試みであった。(次回に続く)

木内俊克/木内建築計画事務所代表
東京都生まれ。2004年東京大学大学院建築学専攻修了。Diller Scofidio + Renfro (2005〜2007年、New York)、R&Sie(n) Architects (2007〜2011年, Paris) を経て、2012年より木内俊克建築計画事務所(現・木内建築計画事務所)を設立。
舞台美術・建築から、パブリックスペース・都市計画に至るまで領域横断的なデザインの実践を行う。2015年~2020年には、東京大学Design Think Tankにて都市界隈の類型化と人々の関心のデータ的把握、及びそのプロセスを通した都市介入についての研究を担当するなど、建築・都市における情報学的領域の教育/研究活動に従事。
代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した「オブジェクトディスコ」(2016)など。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示参加。