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新建築ライブラリー 第12回:『建築昭和史』その12

当社の96年におよぶアーカイブから、絶版本を中心に紹介する「新建築ライブラリー」。前回に続き、『建築昭和史』(1977年、著:佐々木宏)の第3章「昭和13年から昭和19年までの状況」をご紹介します。

以下、本文より抜粋
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ドイツではすでにナチス体制以来、建築デザインが大きく変貌していたし、またソヴエトにおいても様式主義デザインは消えて、社会主義リアリズムの路線に沿ったものに変わってしまっていた。いずれも伝統復古調のものであったが、多くの日本の建築家たちの関心は主にナチスの方へ向けられていた。これは当時の日本政府の左翼弾圧の影響によるものであった。日本の建築運動の中には左翼的志向もあったことは事実であるが、「新建築」の誌上にはそれらの反映はほとんどなく、DEZAM結成の記事などが散見される程度である。

「新建築」のこのような編集方針は、きびしい検閲下においても発刊停止の処分を受けることなく、戦争中においてもっとも長く続刊することを可能にしたのであった。ただ興味深いのは、戦後に共産党へ集団入党して話題となった前進座の集合住宅が、かなり丹念に発表されていることである。集団生活という当時としても珍しい方式をとっていたことを何ら怪しまれなかったのであろうか。

「新建築」からインターナショナル・スタイルが消えて行くのは、1939年からである。 そして、木造建築が多くなって行く。建築様式をめぐる葛藤とともに、資材的な面で鉄筋コンクリート造が不可能になって行ったという事情もあった。木造で勾配尾根をつけたデザインがただちに伝統的デザインにつながるものではなかった。むしろ、インターナショナル・スタイルの洗礼によって装飾されたデザインの手法は、木造による新しいデザインの発見という課題も起こってきたし、一方で経済的にきびしい状況下では、モニュメンタルなものを除いては、無駄のない単純なデザインにまとめるしか道はなかったのである。

こうした当時の状況の推移は「新建築」によく反映していて、それは、仮設的な建築しかつくれなくなって行く中で、いかに建築家がデザインの問題と真剣に取り組んだかという記録である。数多くの作品の中で、とくに印象深いのは村野藤吾の石原産業海運会社と前川国男の岸記念体育館であろう。前者は無筋コンクリートというきびしい条件下で、見事なデザインを実現させたものである。柱の太さは異常であるが、それが逆にデザインのモチーフとして成功しているのである。後者は、日本の木造建築の新生面を開いたものであるばかりでなく、担当丹下健三と発表されたことによって丹下の初登場という歴史的な意義をももっている。
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著者略歴(*本データは書籍の刊行当時に掲載された情報です)
佐々木宏
昭和6年北海道に生まれる。昭和30年北海道大学工学部建築学科卒業。昭和32年東大大学院修士、昭和37年同博士課程終了。現在、佐々木宏建築研究室主宰、および法政大学工学部講師。