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新建築ライブラリー 第11回:『建築昭和史』その11

当社の96年におよぶアーカイブから、絶版本を中心に紹介する「新建築ライブラリー」。今回から、『建築昭和史』(1977年、著:佐々木宏)の第3章「昭和13年から昭和19年までの状況」をご紹介します。

国会議事堂を1冊まるごと特集した12月号で締め括った1936年以後、戦時体制下においても『新建築』は発刊を続けます。出版物も検閲の下におかれた当時において、新築の作品を発表紹介するという編集方針を基本としそれを徹底することにより、発刊停止の処分を免れたと佐々木氏は指摘しています。戦前の最後の号となったのは、1944年12月号。印刷用紙の供給状況の悪化に伴い、数回の合併号の末に判型も縮小したこの号をもって、『新建築』は休刊を余儀なくされました。

以下、本文より抜粋
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帝国議会新議事堂が竣工した年に2・26事件が起こり、翌年には支那事変がはじまって日本はいよいよ戦時体制に深く突入する。戦争は物理的には破壊行為であるが、理念的に新しい建設行為という論理が横行しはじめるのである。すでに1933年には「新建築」誌上に〈統制と建築〉とか〈非常時〉といった言葉が現われてはいたが、建築ジャーナリズムの上ではとくに目立った動向にはなっていなかった。しかし、満州事変による満州建国後は、建築家にとって活躍する新天地が開かれていたし、一方で国粋主義が謳歌されるようになると、建築家の意識の中にも建築様式の問題が重要な課題として反映されてきた。

「新建築」はこのような背景の中で、かならずしも積極的に時代をリードしようという意図はなく、むしろ、新築された作品を発表紹介するという基本方針に徹しようという編集がつづけられた。

日本建築学会の「建築雑誌」などと比較するともっとも対照的であった。「建築雑誌」に発表された〈日本建築の様式に関する座談会〉は当時広く論議を巻き起こしたものであったが、「新建築」では美術評論家の柳亮に反論を書かせて載せている程度である。

このような建築家の目標とデザインの混乱期にもかかわらず、誌上にはインターナショナル・スタイルの作品がつぎつぎと発表されて行く。その主なものは、日本赤十字社病院、慶応義塾幼稚舎、一連の東京の小学校、東京逓信病院、日本電力黒部川第2発電所、強羅ホテルなどであり、他に数多くの住宅も載せられた。これらの作品は、同時に掲載された海外の作品とともに明らかに新しい建築時代を形成するものであった。
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著者略歴(*本データは書籍の刊行当時に掲載された情報です)
佐々木宏
昭和6年北海道に生まれる。昭和30年北海道大学工学部建築学科卒業。昭和32年東大大学院修士、昭和37年同博士課程終了。現在、佐々木宏建築研究室主宰、および法政大学工学部講師。